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「法華経の智慧」から「悟りについて」の読み方の例

 投稿者:アルベア  投稿日:2016年 3月31日(木)05時05分44秒
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  「法華経の智慧」から「悟りについて」の読み方の例

第3巻273ページ

名誉会長: 戸田先生の悟りの全容は、到底、語り尽くせないが、先生は法華経

ゆえに投獄された。迫害に耐えて信念を貫いた。そのこと自体が法華経を身をも

って読むことであり、全人格的な体験です。忍難即仏界です。難と戦う信心によ

って、生命に大変革が起きたのです。「諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界に

いたるべし」(御書 p234)との仰せの通りです。

悟りとは単なる認識ではない。ここが大事です。永遠の生命は認識するものでな

く、それを生きるものです。修行が必要なのです。なぜならば、認識しようとし

ても、そうしようとしている自己自身をも支えているのが「生命」だからです。

「波」に「海」をつかむことはできない。「小」で「大」をつかむことはできな

い。では、どうするのか。

大いなる永遠の生命を、小さな我が身の上に顕現する ?- 涌現する ?- 以外に

ないのです。そためには、全存在をかけた自己浄化が必要です。それが仏道修行

です。

娑婆世界の衆生の心は、煩悩や業によって顛倒している。すなわち我々の生命は

、本来は「妙法根本」です。それが、「エゴ根本」になってしまうのが顛倒です

。仏界という「永遠の生命」が自己の上にしみ通ってくるのを、その顛倒が邪魔

しているのです。

★「戸田先生の悟りの全容は、到底、語り尽くせないが」⇒個別的・志向性がある

ということ。

全人格的な体験です。忍難即仏界です。難と戦う信心によって、生命に大変革が

起きたのです。「諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書 p234)

との仰せの通りです。⇒「自己機能」の活性化により「意識機能」がもたらした現象である。

「認識ではない」⇒「自我機能」ではない

「大いなる永遠の生命を、小さな我が身の上に顕現する ?- 涌現する ?- 以外

にないのです。そためには、全存在をかけた自己浄化が必要です。それが仏道修

行です。」⇒「自己機能」⇒「体感覚知」

娑婆世界の衆生の心は、煩悩や業によって顛倒している。⇒「自我機能」

すなわち我々の生命は、本来は「妙法根本」です。⇒「自己機能」

それが、「エゴ根本」になってしまうのが顛倒です。⇒「自我機能」

仏界という「永遠の生命」が自己の上にしみ通ってくるのを、⇒「自己機能」

その顛倒が邪魔しているのです。⇒「自我機能」が優位、活性化されている。

「顛倒」している人は、自分自身では「わからない」、「わかれば」自然に軌道

が正されるものである。「気づかない」のだ。「気づく時」は、心身に及ぶ「自

己機能」が不良不全になる時である。「病により道心はおこるなり」

相手を攻めても、伝わらないのは「気づき」が促されていないからである。
 
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