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「ホンマは諸天善神なんかおらんのや!」
もう20年以上前のことになりますが、ある幹部が会合でこう叫んで、私は「?」となりました。その後、私と友人はその幹部から後日談を聞きました。
「あれから何本も電話が来た。『諸天善神はおる! 俺は見たんや!』て。アホちゃうか」と言う。私はまた「??」となりました。
さらに後日、あの幹部を慕うその友人は、個人的に指導を受けて聞いたことを、私に興奮気味に、「ホンマは諸天善神なんかおらんのや。おらんから大聖人が作りはったんや!」という。
私はさらに「???」となりました。おかしい。自分が学んできたことと違う。
大聖人は何も作り出してなんかいない。あえて言えば御本尊だけで、それも
「“是全く日蓮が自作にあらず”多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎたる本尊なり」(日女御前御返事P1243)のはず。本質的には全て「本有」のはず。
その「法則」を大聖人は発見されて、その法則に則れば、実際に宿命転換ができる。
そもそも生命は「そうなっている」。だから、宿命に泣くことはない、と教えて下さった。教えずにはいられなかった。
だから、そんな「無明」を「折」って、「伏」せて“差し上げよう”という、
まさしく“慈悲”の行動を始められた。
これが「折伏」の“真意”であるはずです。
仏法というのは法則であって、ただの思想・考え方ではない。
大聖人は一面として、キリストやムハンマド、孔子というよりも、むしろニュートン、アインシュタインやフロイト、ユングらに近い。
法則だからこそ、(祈りが必ず叶うからこそ)頼もしくもあり、(食い違えば罰として現れるからこそ)恐ろしくもあるのです。誰も法則にだけは敵わないのです。
だから四人組にも本当に信心があるならば、仏法を法則と信ずるならば、法を、池田先生の指導を正確に伝えようとするはずです。間違えたら自分で罰を出してしまうからです。
『人間革命 第1巻 千里の道』で、法華経講義を始めようとする戸田先生は「でたらめを教えたら、罰を受けることぐらいは知っているよ」と言われています。
また後日、友人を魅了したその幹部は得意げにこう言い切りました。
「ホンマは宿命転換なんか無いかも知れんけど、俺は(信心のおかげで)前向きやで!」
また私の頭は「?」にとりつかれました。
「“宿命転換なんか無い”と思うのなら、なぜ信心なんかしているのか?????」
宿命転換も無くて、ただ前向きになるだけなら、少年ジャンプを読めばいい。
私の地域の幹部は、日蓮仏法とは違う、何か別の宗教を広めているような感があります。
私にはオウム真理教の友人がいました。好人物です。
オウムでも功徳的な「現証」を語ります。が、
それが本当なのかどうか、それを裏付ける「文証」「理証」的なものを私は入信前からチェックしていました。
私の功徳を感じる時の多くは、自分が知りたいと思っていたことの情報やそれを知る人物が不思議と近づいて来てくれることです。
あの「諸天善神なんかいない」「宿命転換なんか無い」から間もなく、私は『科学と宗教』という池田先生とログノフ博士(量子論の大家でモスクワ大学の学長)の対談集と出会いました。
そのなかで、二人は「仏法と量子論の類似性」を見出されています。
池田先生が「科学が仏法の正しさを証明する」と言われているのはこういうことでしょう。
「一切衆生のみならず十界の依正の二法・非情の草木・一微塵にいたるまで皆十界を具足せり」(御書P522)
「草木・樹林・山河・大地にも一微塵の中にも互に各十法界の法を具足す」(御書P561)
とあります。
http://sgi-shiteifuni.com/?p=8126
http://sgi-shiteifuni.com/?p=8131
http://sgi-shiteifuni.com/?p=8135
(私は電気屋なのですが)ここで「一微塵」とは、現代においては「素粒子」レベルとも言えるでしょう。
宇宙の全ては素粒子から成っています。その素粒子は十界という「リズム」を持っています。
2000年頃、池田先生は何度か「宇宙の全てのものは振動している。一瞬たりとも止まっていることはない。動いている」と言われていました。
量子論でも同様に、
「宇宙の全てのものは、素粒子のレベルで振動している」
「その全てのものは、同じ周波数で振動していて、共鳴・共振する事でつながっている」
そして「同じ周波数で共鳴・共振し合うもの同士は互いに影響をおよぼし合っている」
としています。
いわゆる「引き寄せの法則」はこれを根拠として、「共鳴・共振し合い、影響し合うもの同士は互いに引き寄せ合う」としています。
この「引き寄せ合う」働き、機能は、「如是縁」と似ていると思うのですが、どうでしょうか。
いわば、こういうこと(一念三千)です。
宇宙の全ては「仏界ヘルツ(南無妙法蓮華経ヘルツ)、菩薩界ヘルツ……餓鬼界ヘルツ、地獄界ヘルツ」の10種類のチャンネル、周波数を持っていて、その周波数で振動している。
そして、各チャンネル、周波数でつながり合うものは互いを引き寄せる(如是縁、十如是が機能する)ことになる。
ただこの各チャネルは持っているエネルギーに差がある。
例えば地獄界チャンネルは1デシベル、餓鬼界チャンネルは2デシベル、仏界チャンネルは100デシベルのエネルギーを持っていて、
最高レベルの仏界チャンネルを持つものは他の9のチャンネルに負けることは無い。
(ちなみに、「生命は無始無終で永遠」ということは、その生命の「総量」は一定で、増減することはない。
例えば、仏界チャンネルが10キロワット、菩薩界チャンネルが10キロワット……餓鬼界チャネルが10キロワット、地獄界チャンネルが10キロワットで、
「総量」が100キロワットとすると、その総量100キロワットは変らない。
しかし、もし仏界チャンネルが20キロワットに増えると、その分、餓鬼界チャンネルは5キロワット、地獄界チャンネルは5キロワットなどと、減ることになる。
この仏界チャンネルのシェアが拡大することがすなわち、広宣流布が進んだということ。
ただし、どのチャンネルもシェアを下げることはあっても、0になることは無い。)
そこで、「南無妙法蓮華経の御本尊」を信受(信の題目)して、唱題(行の題目)すれば、
宇宙にもとからある(本有)仏界ヘルツを受信(信の題目)する
と同時にその同じ仏界チャンネルを発信(行の題目)する
ことになります。
すると、宇宙の別の生命体にもとからある仏界チャンネルが共鳴・共振、反応(境智冥合)して、
最高レベルのエネルギーをもって、自分自身を助ける、幸せにする働き、機能となって、
引き寄せられる……これをファンタジックに13世紀の日本語で「諸天善神」と呼んでいるんですよね。
(だから諸天善神は美男美女とは限らない。)
これを超常現象と見れば、見れないこともありません。
今ではただの電気現象と分かっている「雷」も昔は超常現象でした。
(こういったことを真面目に調べた『NHKスペシャル 超常現象 科学者たちの挑戦』<書籍版あり>はいかにも仏法を証明するかのようで興味深いです。
http://www.at-douga.com/?p=11123)
それでは味も素っ気も無い。妙法をただ、法則と言ってしまえば冷たく聞こえる。そこで「生命」という温かみを感じる言葉で表現しています。
諸天善神は「いる」者ではないかも知れませんが、確かに「ある」ものなのです。
“こんな気持ちを感じた人って”
“他に誰かいるのかしら?”
“私はこの上ない幸せを”
“たっぷり味わってるの”
“きっと天使さんに違いないわ”
“私の心と戯れているのは”
“私 夢を見ているのかしら”
“天使たちが祝福してくれるのが見えるのよ”
“現実の世界に戻れるかしら?”
“私の感覚は混乱してるのかしら?”
“孤独な想いに包まれたときだって”
“一人ぼっちなんかじゃないのよ”
“沢山の天使さんに囲まれて”
“私の心は弾んで踊るのよ”
(ユーリズミックス『ゼア・マスト・ビー・アン・エンジェル』https://www.youtube.com/watch?v=TlGXDy5xFlw)
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