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「作用反作用」⇒反転1

 投稿者:アルベア  投稿日:2016年 3月30日(水)05時24分42秒
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  「作用反作用」⇒反転1

「法難」の発生機序、について3/27で述べたが、この「法難」の構図は、日常

生活でもよく見られる現象パターンである。

いつも「自他」「二者」関係には「作用反作用」がある事を伝えているが、この

弁証法的現象「正」「反」「合」の見方(トライアングル現象)は、「私」と「

あなた」という、二者関係では、作用反作用が現象化する。「正」「反」の構図

である。作用する「私」 反作用として反発する「あなた」となる。

「合」は「止揚」(アウフヘーベン)「正」「反」を否定し、「正」「反」の特

性を残し、高めると言ういみですが、仏法の眼から見ると「止揚」は、その場、

その時の「智慧」によりもたらされる現象として見る事ができます。つまり、相

対する当事者同士がいる場、現場で、もたらされる「智慧」ということです。

「自他」「二者」関係の対立構図は、集団と集団の相対する場合も同様な働き作

用がもたらされています。

「反作用」をどうすれば、反転させ「合」となるか、ここが今までの「人間観」

からは、なかなか見る事ができなかった、気づけなかったのです。

相手の反作用のエネルギーを「慈悲のエネルギー」で反転させることができるこ

とを証明されたのが日蓮大聖人の「法難」の極意です。そこから私たちは個人と

個人の対立、相対的な現状をどのようにすればよいうかと言う答えを示されたの

です。

つまり、向き合う側「私」が「慈悲」で相手に向き合うならば、その時々にあっ

た現象がもたらされるということです。「智慧」の発動がもたらせてくれるとい

うことなのです。

「法のために」「民衆を救済する」ということが「自分自身の内奥に定着化」し

ていれば、向き合う相手の生命をも反転させることができるということなのです。

これは、すごいことです。

向き合う側「私」が他者の「幸」「不幸」を左右していることでもあるのです。

参考までにキリスト教の新約聖書にある「汝の敵を愛せよ」等は、今述べている

ことと同じことです。世界の宗教の教えは生命論を志向し、同様な教えを説いて

いるのです。「慈愛」「慈悲」による意識の転換を示しているのです。

相手を「思う一念が大切だ」ということを池田先生は、その都度指導されてきて

います。私たちも「わかった」つもりでいますが、現実的には相手に粉動(ふん

どう)され反応してしまうのがほとんどです。「慈悲」の「心」を定着化させる

とは大変です。なぜならば「自我機能」中心だと「なかなか慈悲」は体感できな

いのです。

「自己機能」が機能していると「生かされている」という実感をします。この「

生かされている」という感覚が「慈悲」の現われなのです。この感覚「慈悲感覚

」を常に意識するようにすると定着化します。そうすると「智慧」がもたらされ

るのです。「慈悲」は様々な現象として現れています。一番、身近で、当たり前

な現象としての「慈悲」は「気づき」という現象です。以前にもお伝えしました

が、「気づき」は仏の働き作用であると、まさに、私たちは「慈悲」の働き作用

により「生かされている」のです。

《Love your enemies.》悪意を抱いて迫害する者に対して、慈愛をもって接
せよ。新約聖書「マタイによる福音書」第5章、「ルカによる福音書」第6章にあ
る言葉。
ウィキペディア「止揚」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A2%E6%8F%9A

 
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