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(発行=16.03.27)
“観光寺”を目指した大石寺
経済的に困窮すると、すぐ観光地化を計画
本山で青年のスクエア・ダンス大会も話題に
日蓮正宗が本山に桜の見物客を呼び込んで勧誘しようとする姑息な手口を前
号で紹介したが、大石寺が観光寺を目指したのは過去に幾度もある。特に戦後、
経済的に困窮していた時、総本山の観光地化を推し進めようとしたのは有名だ。
昭和二十五年十一月二十三日、総本山の客殿で富士北部観光懇談会を開催。
これには富士宮市長、上野村長、税務署長、富士宮駅長、観光協会の代表らが
出席し、宗門からは堀米総監、高野参議会長、細井庶務部長、早瀬内事部長、
落合財務長、それに観光地化に意欲を燃やした秋田慈舟の他、塔中の代表、第
一布教区の代表、総代など多くが顔を揃えた。
懇談会では総本山の各所に立札を立て説明をつける、三門から塔中までの間
を庭園にする、三門付近に観光客の案内所を設ける、観光客の宿泊設備を考え
る等々の提案がなされたことも記録に残っている。
この他、桜と紅葉の時期の年二回、若い人達を対象にスクエア・ダンスを行
なうことも話題に上った。
こんな信仰とは無縁の愚かな計画を憂慮して、昭和二十七年十月から登山会
を開始したのが学会の戸田第二代会長であった。
後年、六十六世日達法主は、この学会の月例登山会によって「初めて本山が
活気づいた」と、戸田会長に感謝の言葉を述べていた。
この月例登山会は平成三年六月までの間、約四十年間にわたって続けられ、
約七千万人が登山し、御供養を続けて外護したのである。
こんな登山会を止めさせたのが不相伝のニセ法主・日顕であった。
その影響は各方面に波及し、ホテルや民宿、バス・タクシー会社など地元が
受けた被害は深刻で、特に、JRは既に年間ダイヤを組み終わっていたし、沖
縄・九州・四国からの登山専用船舶を約三十億円かけて建造したばかりだった。
更に、登山会関連バス会社の副社長は、社員の解雇問題などに追われていた
が、「皆様にご迷惑をかける」と自ら命を絶つという悲劇も生まれた。
迷惑をかけた張本人の日顕は豪邸で贅沢三
多方面に迷惑をかけた張本人の日顕は、罪の意識など微塵も感じることなく、
今も都内の一等地に御供養の金で建てた豪邸で贅沢三昧の日々を過ごしている。
学会による月例登山会が平成三年になくなって、法華講員の〝チョボチョボ
登山〟のみとなって疲弊してきた宗門は翌四年には早速、観光地化に目をつけ
た。
大手旅行会社の近畿日本ツーリストのパンフレット「旅人ロマン物語・春の
旅」では「お手軽に春満喫の日帰りプラン」を特集。「大石寺の枝垂れ桜と富
士宮下馬桜」が新しい企画として登場した (左の写真参照)。
この企画は大石寺の他に平安神宮、銀閣寺、勝持寺(花の寺)、醍醐寺、三宝
院、華厳寺(西国三十三番満願霊場)、西明寺、金剛輪寺、永平寺などを巡るコ
ースも並んでいた。大石寺は、これらの神社仏閣と並んで観光コースになった
のだ (左の「春の旅」の写真参照)。
日顕らは大石寺が有名になると喜んだかも知れないが、良識の人々に厳しく
非難された。その時の弁解が「旅行会社が勝手に企画した」というものだった。
そんな観光地化も定着せず、失敗に終わった。そのため日顕は桜の木に八つ
当たりして、境内や池田山の桜を大量に伐採した。
かつて春には桜色に染まった大石寺一帯は遙か上空からも見えたが、そんな
絶景も今は見られない。
だが、それでも他の地域よりは桜の木が多いので、平成二十四年にも大石寺
見物の日帰りコースが某旅行会社で企画され、写真入りでパンフレットに紹介
された (下の身延山久遠寺、御殿山、大石寺の写真参照)。
それは身延山久遠寺、及び大日向観音堂の「しだれ桜」コースと並び、会席
料理の昼食の後、大石寺のソメイヨシノなどを楽しむという企画である。
身延派などの他宗派と同じように日蓮正宗が広宣流布とは無縁の「観光仏教」
になったことを物語るものであった。
やがては大石寺も奈良や京都の観光寺院の様相と何ら変わらない寺に成り果
てることだろう。
日顕の指示で桜を大量に伐採したものの、残った桜の木を利用して今も性懲
りもなく、観光客を集めようと画策している。そして前号で述べた通り、この
度は桜の見物に来た客を「休憩」と称して本住坊に呼び込んで勧誘して、法華
講に入講させようと、狙っているのである。
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