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「宇宙即我」 ⇒「一人、一宇宙」

 投稿者:アルベア  投稿日:2016年 3月29日(火)09時54分55秒
  通報 編集済
  「宇宙即我」  「一人、一宇宙」(ひとり、ひと、うちゅう)

「唯識論」の第一人者である横山紘一氏は、唯識論の立場から「人人唯識」(に

んにんゆいしき)といい、身体外部の世界(外界)と身体内部の世界(内界)は

、同じ働き作用によりもたらされていると述べています。

私たちの日常生活は現実という外界(客体)に影響を受けながら自分を適応させ

ています。

自分自身は身体内部に閉ざされた世界にいる。現実の外界は、全ての人間に共通

した開かれた世界である。

「100数十億年に起きたビックバン現象によりいまの宇宙は膨張し続けている。

この広大無辺な宇宙の中に、一人、小さな存在として自分はいまここに生きてい

る」という、思い込み、信じ込みによる抽象的な理解の宇宙観です。(外界の宇

宙)唯識論では、具体的な宇宙としての「自分自身」を展開しているのです。

例えば「朝目が覚める」現象は、「自分自身」のビックバンであり、日々起きて

いる体験している現象です。日々体感する現象こそが宇宙の運行と同じなのです

。このことを横山氏はわかりやすく「一人、一宇宙」(ひとり、ひと、うちゅう

)と述べ、「唯識論」を展開しているのです。※「三世諸仏総勘文教相廃立」参



「一人、一宇宙」を実感することは「宇宙即我」の体感覚知同じです。(内界の

宇宙⇒己心の世界)

今述べている事は、思考レベル・「知識」の伝達である。このことを「体感・体

験」するのは、本人しだいである。

池田先生は、どこまでも自律した一人の人間の振る舞いとしての在り方を述べら

れている。

「仏教の真髄は、何かに頼るものではない。自分自身が自分自身の決意と自分自

身の努力で、自分自身を開いていくのです。頼らない。自分が立ち上がる。同情

もいらない。感傷もいらない。誰が励ましてくれなくてもいい、自分が決然と、

朗らかに立ち上がって、自分を変え、周囲を変え、社会を変え、国土まで変えて

いくのです」と「法華経の智慧」第4巻41ページ

端的に言うならば「法のため」に「民衆救済」をすることなのだ。「非二元」的

に言うならば「意識の救済」である。

「わかる」「わからない」「理解する、しない」「了解する、しない」は、自分

自身の在り方により決まっていくという事だ。

ややもすると信心は、依存性・期待感を増幅させる。この依存性、期待感を自ら

断ち切って、自分自身で立ち上がっていかないと「宇宙即我」「一人、一宇宙」

は「絵に描いた餅」にすぎない。「体感・体験」できることが、できずに人生を

終えていく人々が当り前にいるのが現実なのだ。

仏法の真髄は、自分自身の「体感覚知」「悟り」にある。いつ「悟る」かは「自

分自身」の決意しだいである。

今まで「法華経の智慧」を読んでも、自分自身が「悟ろうとは、思わなかった」

「思えなかった」、どうしてか、読めばわかるはずだが・・・「気づけなかった

」ということだ。「智慧」がもたらされなかった。結局、自分自身のこと。

釈尊以降の仏教教団の腐敗・堕落は「体感覚知」「悟り」がなかった、もたらさ

れなかった事実を見ればわかること。「法華経の智慧」を現実化させる人がいな

かったということだ。創価という貴族教団も同様である。
 
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