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dekahappy 様:2016年 3月29日(火)00時45分41秒
真摯なご御質問ありがとうございます。感謝いたします。ご質問から「意識機能」が働いているのを感じます
。「人間観」ということでみると「意識の上昇」がみられるということです。恐らく、以前より心身の調子が
いい、コンデションがよくなってきていることと存じます。
1-不思議な体験をさせて頂き始めておりますが、
回答⇒閲覧する方々は、「今までない見方」ですので、読み始めは戸惑いとチンプンカンプンですが、用語に
慣れて来ると自然に心身に浸透し「理解」(自我機能))しはじめます。「理解」しはじめると、自然に「了
解」(自己機能)に意識が向きはじめます。「理解」から「了解」に移行する頃から、自分自身にとって不思
議な体験がもたらされます。誰もが通る過程です。不思議な体験は「味わう、楽しむ、」という感じで「眺め
る」と「わからないけれど」なぜか納得してしまいます。
これからも自分自身の身の上にもたらされる様々な現象を楽しむようにいくと、いいと思います。
2-向日葵が若く成長期の時、宇宙の運行の一つである太陽に合わせて、花を向けていく行為がありが、環境
、四季に合わせ光合成し成長し次の世代の種を残し、枯れて死んでいくことは「自己機能」ととらえてよろし
いのでしょうか。
回答⇒そうです。「自己機能」の働き作用です。「法」の働きであり「生命現象」です。向日葵には「自己機
能」という言葉はありませんが、人間の言葉で表現すると「自己機能」の働きとなります。この「自己機能」
に意識が向くから「法」「生命現象」が「覚知」「感知」ができるのです。「気づき」という仏の働き作用が
「意識機能」によりもたらされているのです。
そうです「物凄いことと感じ始めております」ということになるのです。このような体感が「歓喜」「喜び」
に転じるのです。そこに「大歓喜」という「生命現象」「生命感覚」の本質があるのです。
Dekahappy様の気づかないうちに、「意識機能」は確実に「体感覚知」の方向にあります。
池田先生は「法華経の智慧」で「蓮華」の例を上げて「生命活動」を展開されています。第3巻232ページ
3-エックハルト・トールの書籍を読んで「大いなる存在」に触れおりますが、私はまだまだ一瞥体験迄いっ
ていませんが、
回答⇒一瞥体験「する、しない」は、一つの目安です。一瞥体験という明確な体験として感知する人もいれば
、気づいたら、そうだったと後で感じる人もいます。例えば「不思議な体験をさせていただいております」と
いうのは一瞥体験としてみることもできます。自分自身の志向性にあわせて自然にもたらされていくものなの
です。
4-池田先生のことを思うと、とてもすっきりします。
回答⇒いいことです。現実的な世界では「私と先生」という「自他関係」「二者関係」ですが「自他不二」の
現象がもたらされると、「私と先生」が「私は先生」「先生は私」と体感します。このような表現は誤解され
ますが、「自他不二」がもたらされると自然に「私は先生」「先生は私」なってしまうのです。すごい事です
。このような事が仏法の生命論であり「法華経の智慧」なのです。
私たちは生かされているのです「自己機能」、「生きている」と感じるのは「自我機能」の働き作用です。
「法華経の智慧」を合わせてお読みになっていくと、さらに、いろいろ見えてきます。
「理」から「事」への転換がもたらされます。
御質問ありがとうございました。
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