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「法難」の発生機序
「自我機能」による相対的な「正義」⇒の続き
しかし、生命論から見ると「池田先生と執行部」「創価と宗門」「池田先生と日
顕」すべて「広布」のためにもたらされている現象なのだ。それぞれの「眷属の
同時代的出現」により「法」は流布していくのである。
「池田先生と執行部」「創価と宗門」「池田先生と日顕」は「二項対立」または
「正」「反」「合」の弁証法的現象である。
「止揚する」「合」は、「広布」という人類の究極の目的、生命論で言うならば
「成仏」「仏」の働き作用となる。
釈尊の法難・日蓮大聖人の法難・創価の法難は、全て「広布」の進展時に同時に
現象化されている。「相対的現象・現実」の原理・法則なのだ。「俯瞰的眼差し
」がないと見えない、視野狭窄の自我機能の人には見えない見方、読み方である。
今、起きている創価を取り巻く状況、腐敗・堕落は「相対的現象・現実」の中で
の「法難」なのだ。「広布」の大転換のためにもたらされている現象なのだ。「
気づけば」「了解」の世界である。
ここに「気づく」と「自分自身を成長させよう」という「思い」が湧いてくる。
「体感覚知」の欲求である。智慧の現象化である。自然に起きて来るのである。
この「思い」が大転換をもたらすのだ。
相対的世界では、絶えず外の「敵」「悪」「相手」を攻めようとするだけである
。敵・悪を勝手に想定する癖がついている。それが「相対的現象・現実」なのだ。
いまや、小さい創価集団内の様々な現象、自称「弟子」たちの方々の大騒ぎと、
対立する集団の掛け合いというコントが続いているだけなのだ。ストーリー・物
語である。
ちなみに今述べた構図は、地球上のあらゆる集団で起きている生命現象でもある。
まさに「運命共同体」として同時に起きているのである。このような現象について
は池田先生が「宇宙と生命を語る」で語られている。
例⇒竜ノ口法難と発迹顕本⇒処刑の瞬間に起きた「光」「稲妻」現象は「天体
現象」である。諸天善神の働き作用として伝えられているが、自分自身の生命現
象(運行)は宇宙の生命現象(運行)と「不二」にあるということである。その
証(あかし)を示された現象だったと見る事ができる。
地球上で起きている様々な現象が創価の内部でも同時に現象化されているのであ
る。仏法の生命論は、どこまでも現実を生命現象としてみていくものなのである。
池田先生の言われる「人間主義」とは生命論からとらえた人間主義なのだ。「人間
観」からみた自分の都合の「人間主義」ではない。体感・体験が無い人にはわからない。
なぜならば「智慧」「慈悲」が顕現されていないからだ。
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