お久しぶりです。ちょっとメンタルの調子を崩していましたが、私は元気です。
京極夏彦にハマってます。
今『嗤う伊右衛門』を読み終わったところ。
さすがの京極夏彦。有名どころのパロディというかアレンジというか、話の構成ががすごくて一気に読んでしまった。
※以下、原作が映画を観ていないと読んでも面白くないです。ネタバレ含みます。
読後何度考えてもお岩の死因と死んだタイミングがわからなくてググっていたらこんな考察を見つけて、面白いなと。
(なお、結局お岩の死因等は誰もはっきりわかっていないようである)
各題に注目して、それがシンメトリーになっていることに言及されているのだけど。
1.木匠の伊右衛門
2.小股潜りの又市
3.民谷岩
4.灸閻魔の宅悦
5.民谷又左衛門
6.民谷伊右衛門
7.伊東喜兵衛
8.民谷梅
9.直助権兵衛
10.提灯於岩
11.御行の又市
12.嗤う伊右衛門
章の名前が全て登場人物からとられており、その配置が(いささかいびつな)シンメトリーを成している。1と12、2と11、3と10は同じ人物。4と9 は、この一件に関わったことで運命を狂わされたものたち。6を中心に据え、8は措き、残ったのは5と7であるが、この両者は今回の一件を引き起こした張本人であると言えなくもないのである。
もう一度内容を考えてみると、これは全体的にシンメトリーというか、それぞれ同じ境遇の人物が対になっていて、同じような人生を同時進行している話なのだと思って。
引用した文にないものでは、他に袖と梅、又市と直助、又左衛門(岩の父)と利倉屋(梅の父)、伊右衛門と喜兵衛も案外善と悪で対になっているが、同じなのかもしれない。
又左衛門と利倉屋
どちらも男親一人で育てた我が娘可愛さの余り、娘を想う行動により娘を積極的に不幸にしている。
又左衛門:岩を他の男に渡したくない故、毒を盛り縁談を断り二目と見られない顔にした
利倉屋:傷ものにされた娘の行く末を案じるあまり最悪の相手に無理に嫁がせてしまった
袖と梅
彼女たちは極悪人・伊藤一味に拐され襲われた後に自らの反応により二次災害に遭っているのだが、その経緯と結末が一緒。
一度逃げ出して実家に帰った後、本文にあるように二人ともその辛さを親族にアピールすべくふさぎ込んだり泣きわめいたりする。
両者死ぬことも考えるも、実際伊東の件は致命傷ではない。しかし過剰に(されたことを考えると妥当ではあるが)騒ぎ立てたことにより、親族が動き本人の意図と違うところに及んだ結果、
梅:自分を襲った伊東に半ば騙された形で縁組、名ばかりの妻として監視され奴隷扱いの上嫌でたまらない伊藤に辱められ続ける
袖:兄・直助がたしなめ続けていたが、そのうち密かに思いを寄せていた兄が暴走、直助に襲われ、自殺
二人とも伊藤に襲われたのは自分の親/兄への伊東の報復・当てつけから。
又市と直助
彼らは近親相姦を犯し、その結果自分の母/妹を首吊り自殺させてしまう点で同じ(又市は未遂)。
又市:生き別れた母(母は又市が子と知らない)に誘われるも抱けなかったことから
直助:自分を抑えられず妹を襲ってしまったことから。
ちなみに、又市が自分の母の棺桶を扱うシーンと伊右衛門が岩の棺桶をシーンもおそらく対では。棺桶に座って嘯いてみせるあたり。
伊右衛門と伊藤
これはやや微妙ながら、本当に好きな相手(岩/梅)に素直になりきれず、相手に嫌われてしまい、その結果妻を不幸な道に進ませているという点で・・・。
伊東が本当は梅のことが好きで甘えた結果の扱いであるようなことは作中で触れられている。
伊右衛門:岩を大事にするあまり嫌われる→梅を娶るも岩が忘れられず、梅が狂う
伊藤:梅をいたぶるあまり嫌われる→岩を騙して離縁させたのち、岩が狂う
(ちなみに、伊藤をみているとマンガ「ぼくらの」のウシロくんを思い出します)
まとめ
伊右衛門側:
妻→岩/又左衛門
協力者→直助、宅悦
↕
伊藤側:
妻→梅/利倉屋
協力者→秋山、堰山
まとめるとこんなところで、それぞれ同じポジションの人物が似たような感じで動いている感じでしょうか。
もっと深く考察できたら追記します。
それにしても、ゲームマスターというか、いつも話を操るポジションの又市が今回は話の渦中の人物として振り回されているのが印象的な話でした。
映画版、小雪が岩のイメージにぴったりなんだよなあ。