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「不二」ということ1
「不二」とは、「二つに非ず」ということで、対立している二つの概念に見える
現象も、絶対的な見方から見ると、対立が無く、一つの現象として見る事ができ
るということを示す言葉・用語です。二つの言葉では表現できない現象や体感・
体験を伝えようとしたものです。
例⇒「善」と「悪」は、相反する概念です。対立するものです。しかし、この対
立は「止揚」ということにより「一」(いち)になる「合」となることを意味す
るもので、基本的弁証法の「正」「反」⇒「合」構造を示しているものです。
なぜ「不二」になるのか、「二」であることより矛盾する現象が起きているから
です。
「二分法」⇒「二項対立」という論理学で展開される基本的な人間の思考パター
ンでもあります。(このことは重要です)
例⇒「有るか」「無いか」⇒「見えるか」「見えないか」等
思考の形成パターンは「これはダメ」「これはイイ」という誕生後に誰でも親か
らしつけられる、適応するために学習されるものです。「これはダメ」「これは
イイ」という「二分法」「二項対立」という「差異」が物事の理解の基本に形成
されているのです。私たちの思考の基本に定着している「判断基準」です。この
ような「判断基準」は、
「不二」の「不」⇒「非ず」ということが、なかなか理解できないのです。なぜ
ならば非日常的な概念だからです。
だから、ほとんどの人々は「難しく感じる」のです。こうした「非ず」というこ
とに慣れる事が思考を柔軟にしてくれるのです。「慣れる」ということは「体感
・体験」することです。「不二」という現象を自分自身で体験することにより視
野が広がるのです。
「二分法」⇒「二項対立」の世界は、単純でわかりやすいですが、事実や現象を
見る「眼差し」が限定されたものとなりやすいのです。肝心なことが抜け落ちて
しまう危険をはらんでいるのです。
「頭が固い人だ」「融通の利かない人だ」等と言われる人は「二分法」⇒「二項
対立」の「判断基準」の人であり、柔軟な適応性に不良不全を起こしやすいので
す。「思考の発育不全不良」があるからです。
例⇒「葛藤」の基本パターンがありますが、1-「接近+接近」2-「接近+回
避」3-「回避+回避」
「二分法」⇒「二項対立」の限界が「葛藤する」現象をもたらせているのです。
人間の「悩み」「苦しみ」のほとんどはこうした思考の「二分法」⇒「二項対立
」の硬直・膠着が心身の不適応、不良不全感原因・要因となっているのです。
臨床的に見られる心身の不適応者に観察される現象でもあります。「うつ病」の
人に見受けられる「自動思考」のパターンでもあります。この硬直・膠着からの
解放が「不二」という思考の「止揚」なのです。「悩み」「苦しみ」を通して「
わかる」ということがこのことなのです。思考で「理解」することから、体験を
通して「了解」することなのです。
「不二」を「理解」「了解」することは、成熟することでもあり、未成熟な人は
「二分法」⇒「二項対立」の世界に留まっているということを意味します。
現代人のほとんどは「二分法」⇒「二項対立」の思考が定着化しています。だか
ら全ての現象を「二分法」⇒「二項対立」に置き換え自分の都合にアレンジして
いるのが実態なのです。ここに「思い込み」「信じ込み」ということが形成され
る要因があるのです。
多くの議論・討論は双方の相反する「思い込み」「信じ込み」が、ただ現象化し
ているだけで「止揚」にいたらないのです。残念な事ですが「気づけない」「気
づかない」のです。政治家・評論家・コメンテーター・レポーター等の類は、「
思い込み」「信じ込み」の狭い世界でのことを好き勝手に言い、それを見て、聞
いて、多くの人は自分の都合のよい事のみをアレンジし取り入れているのです。
このことを「馬鹿の上塗り」と言います。日々起きている人間の姿が、「そこ、
ここ」にあるのです。今日も「馬鹿の上塗り」が現象化しているのです。
言葉・用語上は、たかが「不二」ですが、されど「不二」なのです。
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