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「当世の禅師律師念仏者なんど申す聖一道隆良観道阿弥念阿弥なんど申す法師どもは鳩鴿が糞土を食するが如し」(小乗大乗分別抄)
現代語
(仏様が亡くなってから2千年以上たった末法という)現在、禅宗の坊主や律宗の坊主や念仏者などが尊いおかたとあがめる道隆だの良観だの道阿弥だの念阿弥だのという高僧たちは、鳩がうんちのまじった土を食べているようなものだ
池田先生が公の場に出なくなって数年、アクセンチュアや秋谷元学会をめちゃくちゃにした会長を尊い御方とあがめる執行部は、鳩がうんちのまじった土を食べているようなもので、日本会議とか言う国家神道のような戦前回帰の思想の混じった事でも、手を組んで飲んじゃうって事ですね。
執行部の方々も自分を偉いなどと思わず
「各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり。」
現代語
みなさん、腹をきめなさい。この身を法華経に変身させるということは、石を金に変化させたり、うんこを米に変化させることなのですよ。
一度、自分の身はうんこなんだと腹を決めて、宿命転換して下さい。
「日蓮今生には貧窮下賎の者と生れ旃陀羅が家より出たり心こそすこし法華経を信じたる様なれども身は人身に似て畜身なり魚鳥を混丸して赤白二滞とせり其中に識神をやどす濁水に月のうつれるが如し糞嚢に金をつつめるなるべし」(佐渡御書)
現代語
日蓮は今生では貧乏で卑しい者として生を受け、チャンダーラのような最低身分の家の出身です。少しは法華経を信じているようだけれども、肉体は人間の姿をしているが、要は動物です。魚や鳥の混ざった塊が赤と白のおりものとなり、その中に魂が宿ったわけです。濁った水に月が映っているようなものです。糞を入れた袋に金を包んでいるようなものです。
日蓮大聖人さえ御自身をこのように例えているのです。外側を立派に飾り立てて壁を厚くして、中身がうんこである事が覗かれバレそうになると、人権無視の迫害。そんなものは日蓮仏法とは真逆ということです。
そんなものを信じすぎると、どんな立派な人でもうんこのようになってしまいます。
戸田先生は転重軽受について
「今朝、便所に行ってウンコに当たった~!なんて言いますか?(会場大爆笑)言わないでしょう(笑)また、ウンチとオシッコの当てったなんても(会場爆笑) それは悪いものが出たんです。(笑)それもこの信心をするならば軽く出させてくれるのです。それが自分の宿業なのです。
片腕を無くしてしまうかわりに小指一本無くした。このことを知らない場合に「何だ!この信心してて小指を無くしてしまったじゃないか!」と御本尊を疑ってしまう。しかし、片腕を無くす変わりに小指一本無くしたことを知ってたならば「アァ助かった」とおもうに違いない。これを転受軽受というのです。それを判らないものだから罰ととらえて信じてしまうのです。それが間違った教えです。
仏壇に手を合わせてたのに罰なんか当たってたら、たまったものではないよ。私たち学会員の拝んでる日蓮仏法は、たとえ宿業が出ても軽く出るんです。悪い宿業を良い宿業に変えていけばいいんです。それが変毒為薬です。」
と言っています。
創価学会として、池田先生のおかげで、執行部の悪というのは軽く出ているのだと思います。
元々中にあったものだから出てきてる。
しっかり責めて出し切って、スッキリ新しい時代を迎えましょう。
それが信心というものです。
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