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しかし、冷戦後は、こうした核兵器の性質にも、大きな変化がみられるようになった。それは、核技術の拡散により、今や核兵器がテロの手段として、再び「使われるかもしれない兵器」となっているということだ。恐怖の均衡の上に成り立つ核抑止論も、テロを抑止することはできない。テロが無差別性をはらんでいる以上、その危険は、同じ地球上に生きる全ての人々に関わるものだ。ひとたび核兵器が使用されれば、その結果がいかなるものであるかは、広島と長崎の“苦い経験”が示している。
こうした新しい事態が生じつつあるという認識を、市民社会が共有する必要がある。誰もが犠牲者になる可能性をはらんでいる以上、核兵器の使用という事態を絶対に引き起こしてはいけないとの意識に、一人ひとりが目覚める必要がある。その意識を共有し続け、国際的な世論を形成することでしか、民主主義のプロセスを進展させることは困難であろう。
なぜなら、核兵器は、人道、人権、持続可能な開発といった、人類の未来に重要な基本的な価値を真っ向から否定するものだからだ。民主主義の価値を声高に訴えるならば、核兵器に依存する国益のための安全保障という構造的な“ゆがみ”を正すことに、何よりも最優先で取り組むべきだと思う。
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人間の安全保障への転換
核兵器を無くせるか、無くせないかという議論をしている段階は、すでに過ぎ去った。かつての核抑止論者であるキッシンジャー元米国務長官ら元高官4人も、「核によるテロや核拡散を防ぐには“核兵器をなくすしかない”」と結論付けている。
私たち市民社会は、核兵器のはらむ問題とその危機の現状を正しく認識し、その問題の解決と危機の回避のためにどうすべきか、その明確な意志を集約し「声」として大きく発信すべき時であるとの強い自覚が問われている。
池田SGI会長は、「21世紀の真の安全保障を考えるにあたり、私どもは変わりゆく現実を直視し、それを望ましい方向へと導くべく、さらに新しい現実を生み出す想像力を持たねばなりません。軍事力による『国家の安全保障』から『人間の安全保障』へ――この発想の転換のカギを握るのは、そうした「想像力」に裏打ちされた「創造力」であります」と指摘している。
私たち市民社会は、核兵器のはらむ問題とその危機の現状を正しく認識し、その問題の解決と危機の回避のためにどうすべきか、その明確な意志を集約し「声」として大きく発信すべき時であるとの強い自覚が問われている。
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