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仏法の生命論4
「気づき」の促し、「救済」という目的が明確に体感・体験として定着化してい
ない人には無理である。そういう人は常に「みかけの救済」に終始し「救済」と
はならない。相手に見抜かれる。
「救済」の明確な目的とは、「自分自身」が救済され、救済者へと反転した時に
もたらされる「慈悲」の顕現である。その時、本人は「智慧」の働き作用の「人
」となるからだ。
「当意即妙」「人情の機微」が自然に、その時々にもたらされるのである。「探
求者」「求道者」から「救済者」(促す人)への反転である。
では、その「促し」とは、歓喜であり、感動による促しである。なぜならば歓喜
と感動は苦悩を消し、喜びをもたらす「慈悲」の現象となるからである。思考・
概念ではない、本人が体感・体験する生命の歓喜・感動なのだ。
ここに「気づき」の促しにより「歓喜」という扉が開かれるのである。人間的
現象の現れとして「当意即妙」「人情の機微」として相手に伝わり「気づく」こ
とにより「救済」が生じるのである。縁による相互作用である。
相対的現象・現実の中にいると「気づけない」が「縁」により「気づき」現象化
するのである。
先に述べた「アハ体験」「ひらめき」体験である。「体感・体験」は主体と客体
の関係、相互作用により生じるのである。この時、心身は喜びにより活性化し、
生命感覚が誘発され、心身の不具合が改善回復するのだ。このような現象を「救
済」というのだ。救済は、救済者から求道者に伝わり、求道者から救済者に伝わ
る「智慧」「喜び」のエネルギーとなる。
例⇒慢性的な腰痛、または肩こりの人が、施術、または治療に訪れ、問診の後に
ベッドに横たわり、施術を受け30分後に終了し、症状確認を行うと「驚く」と
同時に「喜び」があふれてくる。長年悩んでいた腰痛・肩こりが消えたからだ。
このような事例は良く見られる現象である。思考・概念により症状が消えたので
はない。施術することにより、血液循環が活性化され筋肉が緩み、本人の「自然
治癒力」により症状が消失したのである。施術者と来談者の相互作用である。
この例は相互にとっての現実の現象であり、体感・体験によりもたらされた「歓
喜」「感動」である。「自我機能」へのアプローチではなく「自己機能」への
ダイレクト・直接的な関与である。
カンセリング・心理療法は「言葉」による間接的な関与である。当然「自我機能
」が言葉を選択して思考する。
しかし施術は、「言葉」ではなく、直接的な関与による反応の誘発となる。
「自我機能」では3瞬間かかるところを「自己機能」への関与により30分で症
状消失となったこと等は「時短」でもあり、理にかなったことであり、来所者は
「納得」する。
「仏法の生命論」は「体感・体験」による相互作用の活性化なのである。「気づ
き」の促しなのである。だから「歓喜」「感動」がもたらされるのである。
今述べた例は「気づき」への促しとしてわかりやすいのではと思いお伝えしたも
のである。当然、このようなアプローチは一般的ではない。
文字による投稿を見て、感じて「感動」「歓喜」する人は、そのことを求めてい
た人であり「縁」があったということなのだ。特に「気づき」がもたらされた人
は「アハ体験」が生じるのだ。
何回もお伝えするが、投稿する内容は、読み手の「自我機能」が先に働き作用す
る。理解しようとするからだ、この状況は、より間接的であり「気づく」には時
間がかかる場合もある。
「仏法の生命論」は、どこまでも読み手の体感・体験による判断に依存する「理
解」するのか、「了解」するかは読み手しだいなのだ。
参考 TEDで放映されたものです。チベット仏教に入信した生化学者や人類学
者が地球的な視点より現代文明の「誤り」を展開しています。
①マチウ・リカール: 愛他性に導かれる生き方2015/01/20 に公開16分11秒
https://www.youtube.com/watch?v=_p_GKCr8rq8
②ウェイド・デイヴィス: 儀礼と信仰のワールドワイドウェブ2008/06/13公開19分12秒
https://www.youtube.com/watch?v=y8zWH3T5RCA
③マチュー リシャール 幸せの習慣 2008/04/15 公開20分54秒
幸せとは何で、どうやったら幸せになれるのでしょうか? 生化学者か
ら仏門を選んだマチュー リシャールは、我々の心を鍛えて満ち足りた
状態を習慣にすることによって、心の奥底か¬らの静かな充足を生み出
すことができると言います。
https://www.youtube.com/watch?v=vbLEf4HR74E
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