|
|
仏法の生命論3
「気づき」とは、「あっ!そうか、そうだったのだ」という「アハ体験」のこと
を言う。例えばニュートンが「リンゴが落ちるのを見てひらめいた」デカルトが
「我思うゆえに我あり」とひらめいた等、逸話、エピソードが伝えられている。
「ひらめき」「気づき」といわれる直感的現象である。
このような体験は古今東西の物語に数多く記載されている現象である。仏法では
「迷うを凡夫、悟るを仏」等と表現されている。また異なる表現だが「感じる」
「感知する」等も「気づき」という反応を示す言葉である。
「気づき」に関しては、あまりにも身近すぎて、定義や効果等は語られていない。
新フロイト派のハリー・スタック・サリヴァン(Harry Stack Sullivan,
1892-1949)は『対象関係論』を精神分析学や精神医学に取り入れた人物である
が、彼は統合失調症の集団生活治療の中で「あっ!そうか、そうだったのだ」と
いう「アハ体験」が有効であることを精神医学領域で始めて述べた治療家である
。「アハ体験」(Aha Experience)
人間が誕生して発達していく段階で、誰でも「アハ体験」をしているのが見られ
ている。初恋のキッカケには「アハ体験」があり、「夢を決めた」時にも「アハ
体験」が見られる。作詞家・作曲家などにも見られている現象である。職人や武
道家、スポーツ選手等には「技」の「コツ」を掴んだ瞬間などは、「アハ体験」
「気づき」「ひらめき」である。
「気づき」現象については「あいまいな」まま見過ごされてきている。「気づき
」現象は、日常的な現象であり、かつまた大いなる「気づき」にも及ぶ現象であ
ることは知られていない。
「自我機能」による「気づき」は思考・概念レベルであり「自分自身の解放」に
至るには「探求」という過程がもたらされる。なぜならば「自己機能」の活性化
が必要だからである。
「自我機能」の「気づき」は「思い込み」「信じ込み」を増長させ狂いをもたら
す。(増上慢)「狂い」を正すのも「気づき」の現象である。全ては本人自身の
「気づき」しだいなのだ。取り巻きがいくら忠告しても、警告しても「気づき」
がなければ、そのまま「気づく」までその状態は続いて行く。
「気づき」現象は「なぜあるのか」それが「生命現象」の働き作用であり、「仏
」の働き作用だからである。なぜならば「気づき」の働き作用により「全体性」
がもたらされるからである。
十界のそれぞれの「生命状態」は、本人が「気づく」と消える。「気づかない」
うちはその状態が続く。「気づき」という現象に意識して向けていかないと「気
づき」の頻度・現象は低下する。「意識して向けていく」ことが「自己機能」の
活性化なのだ。鈍感な人々には最悪な事態をもって「気づき」がもたらされてい
るのだ。
「気づき」の本質は「今」在る」という「存在」自体が「気づき」なのだ。
アハ!体験とは何か、
http://msc.sony.jp/ahap/aboutahataiken/
|
|