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仏法の生命論1 

 投稿者:アルベア  投稿日:2016年 3月21日(月)05時26分10秒
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  仏法の生命論1

仏法の生命論は「生命現象」として世界を見ていくものである。人間に「体感覚

知」「悟り」現象を促し、救済現象をもたらす「救済」の方法、技法である。

「方法」「技法」とは、「現象」を促す「やり方」である。それは、それぞれの

存在である、自分自身への「気づき」への促しの「やり方」なのである。

個人と言う「自分自身」は、自ら「気づかない」限り「救済」という、もろもろ

の現象はもたらされない事を意味する。

「生命現象」は「全体性」への回帰である。個別的な存在としての「自分自身」

という感覚は、迷いとなり苦悩となって現象化している。個別的な迷宮の住者、

主(ぬし)としての働き作用を選択している。この社会的文化的な現象を「文明

」という。人類が勝手に現象化させた世界なのだ。

「生命現象」という「全体性」に気づけない世界を選択しているのが「今」のあ

らゆる人々の現実の姿である。

「気づかない」「気づけない」から「相対的現象・現実」を住処としているのだ

。なぜならば「相対的」であり、「作用反作用」の世界だから「気づき」という

現象がもたらされるからである。

「思い込み」「信じ込み」という現象は妄想・幻想を発展させる働き作用が常に

あり、誕生初期の「刷り込み」により、瞬間、瞬間、増幅され、妄想としての「

自我機能」が生成され、日々増幅する世界にある。この個別的な世界が集合化し

、作用反作用として「相対的現象・現実」という世界を現象化させている。

「自分とは何か」「何のために生まれて来たのか」「これでいいのか」「これが

本当の事か」等々、何か起こるたびに「問いかけ」という「自問自答」を繰り返

し、絶えず「確認」を「自分自身」の外に求めている。「答え」は出ない、もた

らされない、どうしてか、常に「相対的現象・現実」にいるからである。

「探求」「自己究明」という戯れ(たわむれ)は本人が「気づく」まで続いてい

く、これが選択された事実なのだ。

こうした「探求」「問いかけ」「自問自答」を終わらせるのが「絶対的現象・現

実」の「体感覚知」「悟り」なのだ。ここに新たな人類の誕生がもたらされる現

象があるのだ。それは「自分自身」が「気づけば」現れてくる生命現象なのだ。

「仏法」は、「体感覚知」「悟り」をもたらせ

経典で説かれる、様々な仏、説話等は「対象化」された「相対的現象・現実」を

「見える化」させた「救済」の物語、ストーリである。なぜならば「生命現象」

が「わからない」からだ。「わかる」ための方法、技法として「釈尊」以降の人

間が、それぞれの「自我機能」により創作したものだからである。それは仏教教

団の誕生となり、宗派と言うセクトをもたらせてきた。この現象は今日でも見ら

れている現象である。例⇒我が国の仏教系の教団に見られる現象である。「仏教

」本来の「救済」からほど遠い実状がある。「自我機能」の働き作用である。

多種多様な教団・多種多様な教え、人々に混迷と混乱をもたらす現象が「相対的

現象・現実」でもある。

アジャセ王・アショーカ王等の「曰く因縁、故事来歴」があるが、優れたリーダ

ーは、民衆の救済への働き作用を現象化させた。リーダーとしての「かじ取り」

は仏典によると、前世の報いとして、償いとしてもたらされたと伝えられている

。「因果倶時」の現象ではあるが、精神分析的に言うならば「反動形成」という

現象である。

三世の生命観からみると「作用反作用」の働きがあるということだ。しかし、こ

のような現象は何も「三世」という時間軸ではなくとも、常に「今」起きている

現象でもある。

フロイトは精神分析により「反動形成」という原理・法則を見出した。

私は小此木先生から「反動形成」ということを症例から学んだ時「なぜ反動形成

という現象があるのか」と尋ねた時があった。小此木先生は恩師の古沢先生のア

ジャセ王の話を通し「アジャセコンプレックス」を示し語ってくださった。私は

、それは「作用反作用」によるものではないでしょうか、と再び尋ねた、先生は

「そうです、そういう見方もありますが、用語としては精神分析にはなじまない

のです」と言われた。

その後、まもなく私は、精神分析は、人間により生命現象を通し「知識化され」

もたらされたものであることに「気づいた」のである。

人間の心理・精神の活動は、中学・高校の理科・物理により、現象として見るこ

とができる事を見出したのである。既に私たちは「生命現象」の「全体性」を「

知る手立て」を持っているのである。「気づかない」「気づけない」だけなのだ。
 
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