弘前市の消費者金融「武富士弘前支店」(当時)で2001年5月に発生した強盗殺人・放火事件で、死刑が確定した元タクシー運転手小林光弘死刑囚(56)に刑が執行された。
 従業員5人が死亡、4人が重軽傷を負う、県内犯罪史上類を見ない死傷者を出したことで人々を震撼(しんかん)させた同事件は、発生から13年余りを経て刑事上の処分が終結したことになる。
 しかし、刑が執行されても、理不尽な犯行で奪われた尊い命が戻ってくることはない。犠牲者の遺族や被害者は極刑を望んでいたにせよ、この知らせをどのような心境で受け止めただろうか。当時捜査・調査に当たった警察・消防関係者はさまざまな感慨を抱いたことだろう。
 この場を借りて、改めて犠牲者のご冥福を祈りたい。同時に、二度と起きてはならない悲劇を教訓として、犯罪が被害者や遺族、関係者に与える苦しみの大きさを胸に刻み、犯罪のない安全安心な社会づくりに向けて心を一つにしたい。
 小林死刑囚は、青森地裁での一審から一貫して殺意を否認し続け、強盗殺人には当たらないと主張してきた。2007年4月の死刑確定後も3回再審を請求し、いずれも棄却されていた。最期まで「殺意を持って(まいたガソリンなどの混合油に)火を付けたのではない」と認めてほしかったのだろうか。そうした中での刑執行には、小林死刑囚なりに納得できない部分はあったかもしれない。
 しかし、確定的殺意に至らない「未必の殺意」にとどまるとはいえ、9人を死傷させた結果はあまりに重大だった。借金の返済資金などに困っての身勝手な動機で、競輪を犯行後も繰り返したほか、捜査をかく乱させる目的の手紙を出すなど、積極的に証拠隠滅工作を行っていた。
 現金を要求する脅しの手段として燃焼性の高いガソリンをまいたこと、要求に応じてもらえなかった怒りなどから火を付けたことと、「死ぬとは思わなかった」とする主張の乖離(かいり)はいまだに理解し難い。
 再審を請求し続けた背景に何があったのか、刑が執行された今となっては確認するすべはない。いずれにしても恐るべきは、憤激に身を任せた人間の、理性では理解できない行動である。
 武富士事件後、手口をまねたとみられる事件が各地で頻発し、影響の大きさを思い知らされた。事件後、弘前市内の雑居ビルでは、消防の査察と指導により、避難設備の未設置・破損や消火器の不足といった設備上の不備は改善が進んだ。現在もこれらの設備は維持されているだろうか。万が一の事態のために、消防訓練の定期的な実施も不可欠だ。こうした備えも武富士事件の教訓として怠ってはならない。