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先生。
先生に会いたい。
お題目をあげていると、そんな想い、そんな声が聞こえる。感じる。
僕もまた、そう想う。
弟子として一人立つと決意すれども、
やはり、厳然と先頭で指揮を執られる先生の姿がないことは、
さみしい。素直にそう想う。
そう感じている人の想いが、ひしひしと感じられる。
今の学会の組織を見れば、なおさらである。
お題目をあげながら、その想いを祈りに。
胸中の師の声が響く。
「一心欲見仏不自惜身命」
仏を求めて渇望し、仏に会いたいという一心で、身命さえも惜しまず
その時、必ず仏に会える。
己心の、その胸中に霊鷲山は厳然と時を超えて存在し、仏が常住している。
その通りだ。先生に会いたいその想いが、胸中の先生を呼び起こす。
師弟不二ということを教えんが為、仏は、死という方便を説く。
先生もまた、同じなのだと。
どこまでも、弟子の成長を願う、慈愛である。
胸中の師の声が響く。
「君よ、自身の生命の中に、仏を見なさい。」
「そして、師弟不二が何たるかを体感しなさい。」
先生を求めている人がいる。
だから、先生の万分の一でもいい、先生の心を伝えることができれば
日々、その一念で祈り、戦う。
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