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今日、NHKの宗教の時間を見ていたら、東日本大震災時で体験したことを以下のように僧侶が語っていました。「次から次へと運ばれて来る遺体に対面し続けるうちに、いつの間にか尊厳感が消えてしまい、P85番という呼び方をし、モノとして見てしまう自分が居た」
それは中央から末端に至るまで、会員を一人の人間として見ることなく、選挙の票、聖教購読数としてしか見ない組織の現状と全く同じです。それ以上に会合の連絡どころか、「元気にしているか?」とのオトナイすらない、私の在住する組織の現状を考えると、創価学会が変質してしまった感を懐かざるを得ません。「一人立つとは目の前の一人を大切にする」ことだと考えます。末端レベルが狂ってしまっている以上、ここから革命しないことには中央の劇的な変革など無理です。
曾ての戸田先生の言葉を思い出します。「建物が近代的で立派なものになり、環境も整って来るにつれて信心が薄れて行くんだ。やがて、私も居なくなる。大作も居なくなる時代が来る。その時に信心を思い出すんだ。仏道というのは修行なんだ。あらゆる苦難を乗り越えて行け」
今こそ、創価学会創立の原点に立ち返り、弟子の道とは何かを思索し、語り合うことが要請されている「時」なのだと考えます。そこからしか、戦いは始まりません。そうやって、本物の弟子として戦う中に真の信仰の喜びと充実の人生が出現します。それぞれの立場で戦いを開始し、持続し続けましょう。
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