|
|
ここで、私自身の思想を述べますならば、私は、共産主義やアメリカ主義では絶対ありません。東洋民族、結局は地球民族主義であります」
彼は、ここで、ぽつんと、「地球民族主義」という耳慣れぬ言葉を、初めて口にしたのである。この日の討論を、宗教ばかりでなく、現代思想に関する討論としたかったのかもしれない。だが、彼は、この時、地球民族主義について、一言の説明もしなかった。
戸田が言いだした地球民族主義という概念は、その後、かなり理解されるようになってきたが、彼の発想の真意は、どこにあったかを考える必要があるように思われる。
それは、現代のさまざまな国家観に対する否定にあった。否定といって当たらないならば、そのアウフへーベン(止揚)にあったといってよい。
これまでの国家というものは、国民にとって至上の権威をもっていたが、そのような時代の終焉を、早くも戸田は洞察していたのではないかと思われるのである。つまり、これまでの国家が、もはや虚像となりつつあることを、彼は見抜いていたのであろう。それは、仏法の鏡に照らしてみても、人間社会の究極の帰結であったからである。
歴史的に見ると、かつては小国家が分立していた。日本においても、古くは全国が六十余国に分けられており、中世から近世にかけて、各地の支配者は、領土の争奪のため対立抗争を繰り返した。江戸時代には幕藩体制が敷かれて、それぞれの藩は幕府の支配を受けながらも、一つの″国″として存在していた。しかし、領土の争奪戦はなくなった。
近代になって、明治政府ができると、廃藩置県により、″国″としての藩は消え去り、″国境″も消滅して、日本全体が一つの国となった。そうなってみると、人びとの間にあった、藩同士の対立感情は徐々に希薄化し、かつての国境は、単なる行政区域の境界線となった。
近代の戦争は、主として二十世紀においては、国家と国家との抗争といえる。したがって戦争となれば、人びとには、自分が属する国家への忠誠が求められたし、戦争協力が忠誠心の証ともなった。
ことに日本にあっては、「国家のため」を至上命令とし、同時に、それが人間倫理の最高規範とされ、人びとは、この規範のもとに、戦争行為を正義の発露と信じて戦場に赴いたのである。この「国家のため」の名のもとに、どれだけ多くの若者が戦場で命を失ったことであろうか。
本来、「民衆のため」にあるべき国家が、その位置を逆転させ、「国家のため」に民衆に犠牲を強要した。「国家悪」ということが言われるのも、故なきことではない。
さらに加えて、核兵器による大量殺裁は、破滅的な大惨事をもたらすであろう。その核兵器の所有者は、一握りの国家でしかない。
現代のような国家の存在形態は、未来の戦争を回避し、阻止する保障を与えてくれない。むしろ、大きな障害になることさえ自明となっているのだ。
戸田城聖の地球民族主義は、この意味において、極めて深い意義をもっといわねばならない。仏法は、人間の原理を根本的に説いたものであって、国家の原理は、いわば従となっている。しかし、これまでの世界の国家観は、国家を主として、人間を従に置いてきた。この倒錯を、戸田は看破したのである。
この主従の倒錯の転換は、また、二十世紀から二十一世紀への、最大の課題と、必ずなるであろう。さもなければ、戦争の壊滅的災害は、不可避と思われるからだ。戦争という大量の殺し合いを行う国家は、「殺」を人間の最大の罪悪とする思想から見る時、悪の権化と映るはずである。
国家の名において行われる「殺」の行為だけが、許されていいはずは絶対にない。まして、国家のために戦場で死ぬことが、「悠久の大義」などであるはずはない。「悠久の大義」とは、人類の平和のためにこそ、存在しなければならぬはずである。
だからといって、現代の国家の形態を問い直すことが、無政府主義に向かうものであるなどと早合点されては困る。過去から現在に至り、さらに、未来の人間社会を展望するならば、現在の国家は、大雑把にいって、かつての封建時代の藩のごときものであるといえよう。
それは、地域的あるいは民族的な自治体の機関として必要ではあろう。近未来的には、なかなか至難の業かもしれないが、地球民族主義、または、世界民族主義を根底とする、世界連邦政府ともいうべき機関が確立された時、現代の国家悪の増長はやみ、地球上の戦争は、大きく抑制されていくことは必然であろう。
私たちの言う広宣流布とは、人間根本の絶対平和主義による、仏国土の出現を意味しているといえよう。そうであってみれば、戸田城聖の言うように、全人類を運命共同体とした地球民族主義が、旧来のさまざまな国家観に取って代わる時代を、当然、築くべきなのである
戸田は、この研究発表会で、地球民族主義という彼の立場を宣言したが、一言の説明も加えなかったのは、当時は、まだ、とうてい理解される機運になかったことを、承知していたからである。しかし、それがまことに偉大なる洞察であることには変わりない。
小説『人間革命』5巻 驀進より
|
|