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メソッド
メソッド(method)とは、体系的な方法、方式のこと。
奇跡のリンゴ農家の木村秋則氏・武田鉄矢の映画「降りてゆく生き方」2009年
公開 自主映画「引き寄せの法則」の「ザ・シークレット」「ザ・メタ・シーク
レット」、Dr.ジョン・ディマティーニの方法、中村文昭氏の「何のために」、
7つの習慣等々、また「悟り」系の「非二元者の体験」「覚者の体験」等は、「
全体性」に向かっての、それぞれのメソッドであると言える。
こうした幸福についてのアプローチは本来、宗教が担っていた。しかし、人々は
2000年以降、思い込み・信じ込みでは、どうにもならないということに気づき始
めた。「自我機能」の不良不全状態に気づき始めた。
ここ15年の宗教離れの現象が、ビジネスを含む自己啓発系のセミナー等に人々の
関心がシフトしてきている。このような人々の関心も「全体性」への回帰現象な
のである。
創価の世俗化、活動人口の衰退なども同様である。既存の価値観が崩落している
のである。絶対的なものと感じていたこと、思っていたことが崩れてきているの
だ。
様々な研修会・セミナー等には「全体性」への流れがあることを述べたが、それ
は、いつも言うが、個別的にはそれぞれのアプローチではあるが、その内容等に
は共通した「メソッド」が見られているということである。
つまり、あれ、これ、多種多様な研修会、セミナーの現象は同じであるというこ
となのだ。ここに「気づく」ための出来事等が「今」現象化されてきていると言
える。
その「気づくため」のひとりひとりの「思い」が、いわゆる「探求」の現象なの
だ。「探求」し尽せば終わる。「尽す」とは「やり切る」ことであり、「尽す」
と自然にもたらされるのが「非二元」の世界である。
「さっさと『やり尽せ』」とは、その都度の「智慧」を顕現させる方法である。
「やり尽し」があるから、もたらされる「智慧」なのだ。ただ「やり尽し」には
「やり尽す」者の個人差がある。日ごろの生活がものを言うのだ。
例⇒剣道の素振りで、決められた回数を何回も「やり尽す」と、自然に腕があが
り、技に「切れ」が出て来る。
職人の見極めは、その都度の「やり尽し」によりもたらされている。
「探求」も「やり尽す」ことである。「もういい、飽きた」というところまで「
やれば」変わる。だから「徹する」という言葉があるのだ。「徹する」ことによ
り物事の創造が(智慧)がもたらされるのだ。
「やり尽す」とは身体機能を使っての運動・ムーブメントである。技術・技法の
修得は「やり尽し」体感・体験にある。
創価メソッドは「唱題行」である。毎回、毎回「やり切ればいい」「やり尽せば
いい」生命活動は「やり切る」から自然に反応してくるのだ。
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