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偉くさせない戦い

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2016年 3月16日(水)19時23分58秒
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  yさん

>果たしてジョーカーさんは、人間主義を標榜する現場から引っ張りだこの担当幹部に収まらずに、現場での現執行部の追求をも視野に入れたバージョンアップを望んでいるのでしょうか?<

まず、創価学会という組織は世間一般の組織とは根本的に異なります。世間では社長は偉い存在ですが、創価学会では、会長は全く偉くないのです。ですので、会長=社長ではありません。むしろ会長は一番の下っ端として考えるのが本来の創価学会です。この前提を間違えると、すべてが狂ってしまいます。

宗門が邪教化したのは、「僧侶が上、信徒が下」とはき違えたからです。同じく創価学会が邪教になるとしたら、「会長が上、会員が下」とはき違えた時です。会長並びに執行部を偉くさせてはならないのです。池田先生が本幹で、壇上幹部を叱り飛ばしたのは、それをわからせるためでしょう。本来、皆の前で叱るということは、やるべきことではありません。なぜなら、恥をかかせることになるからです。だけどあえてそれをやるところに、甚深無量の意味があるわけです。

日本は官僚主義国家ですので、創価学会も官僚主義になりやすいですし、それのほうが馴染みがあります。人間主義といっても、知らない間に官僚主義思考に陥ってしまうのです。これは日本人特有の、「主人のために犠牲になること厭わず」という精神が根深くありますから、どうしても個よりも組織を重んじる傾向になりやすい。組織が良識的であれば問題はないですが、そうでない場合は、利用されてしまいます。

ちっとも偉くない会長ですが、組織の決定権(権力)は有しています。そういう意味では上なのです。ただ役割として上をいいことに増上慢となり、自分が偉い存在と錯覚するところに権力の魔性の恐ろしさがあります。権力の魔性を断ち切れるのは信心だけです。学会が権力の魔性に染まってしまったら、ミイラ取りがミイラになったも同様ですから、絶対に会長を偉くさせてはならないのです。今までは師である先生が、増上慢を断ち切ってくれていましたが、これからは、一体誰が断ち切っていくというのでしょうか。

下っ端の会長並びに執行部が理不尽で調子こいたこと(先生の指導と違う)をしていたのならば、「おかしい」と追及するのは普通のことでしょう。それに対して、誠意ある対応をしていくことが、権限を有している人間の責務です。それが出来ないこと自体が傲慢(自分たちが上)になっている証拠であり、組織の権限を有している分、危ないのです。人間主義の戦いとは幹部を偉くさせない戦いでもあるのです。

宗門は広宣流布の道から逸れてしまったので、残るは創価学会だけが、日蓮の魂を継ぐ団体です。学会が、信仰を深める手段として、正常に機能させることが学会を守ることになります。そのためには先生の指導を根本にしなければなりません。その道から逸れて、権限ある幹部が好き勝手するようなことになれば、諌めなければなりません。それは見る人によっては、批判にしか映らないかもしれません。

最後に戸田先生の指導を紹介しておきます。
「自分で威張るつもりはなくても、自然に威張るようにさせてしまうのが、怖いのだ。学会も、幹部になれば、周囲が、自分を何か偉い存在のように作ってしまう。それに乗ったら恐ろしいぞ。くれぐれも気をつけよ!」
 
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