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yさん
>もしジョーカーさんが私と同じ地区の担当に入ったとして、私のような一兵卒の壮年地区幹部にどのような働きかけをすることが、バージョンアップに繋がることとお考えでしょうか?<
オカラ論がきれい事とされ、現実には数を追ってしまうのが組織の宿命とも言えましょう。結局、魔との闘いとは、組織内に蔓延する「空気」との闘いを意味します。自組織が、人間主義の空気なのか、それとも権威主義・官僚主義・組織主義・成果主義(組織悪)の空気なのか。まず、バージョンアップに必要なのは、「空気を意識し、把握すること」です。組織は面白いもので、地区や市や県をまたげば雰囲気が変わる。それぞれ、国土世間や衆生世間は異なり、自組織は自分の生命の反映でもある。組織の空気を変革することは、自分の生命の変革につながります。
yさんのおっしゃるように、学会の組織は年々ゆるく、意見を言いやすくなっているのは私も感じます。それは世間も同じで、一昔前は、所謂、「体罰」は肯定されていましたが、今では許されない。たった一言でも問題発言扱いされれば、叩かれたり、批判される。よくも悪くも間違ったことは許さないという風潮があり、ネットの普及により、一人ひとりが情報発信できる社会なので、不用意なことはできなくなっている。もはやパワープレイは通用せず、どこの組織も変わらざるを得ない状況なのだと思います。
さて、話を本題に戻すと、なぜ故にオカラ論がきれい事扱いされてしまうのか。そもそもが、「結果(成果)をもって応えることが先生が喜び、広宣流布のため」という大きな勘違いに起因します。先生が喜ぶのは結果ですが、それは数字上の成果ではありません。先生が喜ぶ成果とは、会員が、「こんなに幸せになりました。悩みが解決しました。宿命転換できました。健康になりました。」という報告であり、これを第一に考えるのがオカラ論です。そしてその結果、数字上の成果としてもあらわれれば大万歳というところでしょう。それが逆転してしまうと成果主義に陥り、「結果が出ても歓喜はない」という悲惨な状況になるわけです。会員を犠牲にするところに、喜びなど存在しようはずがありません。
何が本当に先生のため、広宣流布のためなのかをはき違えてしまったら、戦いは自己満足に陥る。幹部の自己満足が会員を犠牲にする。オカラ論は人間主義の象徴であり、ぶれてはいけないもの。この原点を見失うところに、組織悪が蔓延する元がある。そうならないためには、「忘れさせないこと」が重要になります。人は忘れる生き物です。組織悪が蔓延した組織にいると、すぐにわからなくなります。忘れさせないためには、常に言っていくことです。たとえば、協議会一つとっても、毎回、「オカラ論」「人間主義」というワードを言い、常に意識させていくこと。その繰り返しが組織悪を抑止することになります。
長い期間培われた組織の空気というものは、一朝一夕には変わりません。空気とは、生命に根差した深いものですから、それを変えるのは大変なことです。だが、組織と言っても人の集まりですので、人間主義を根底とした人の数を増やすことが空気を変える道です。一人ひとりと対話し、人間主義の味方を増やしていくことが、一番の近道です。誰もが人間主義でならないと思っているとは思いますが、一体どうしたらいいかわからないというのが現状でしょう。これもまた、技術が必要です。悪と戦う技術とは、「人間主義化への技術」と言い換えることもできます。まだまだ言いたいことは沢山ありますが、長くなってきたのでこの辺りで一旦終わらせます。
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