おはようございます。今日は寝すぎてしまった、まこっちゃんです。今、睡眠改善プログラムを実施中。うまくいったらここに書かせていただきます。
さて、今日は僕が1番大切にしてることばについて、書きたいと思います。
僕はこのことばに、
なんども、なんども、なんども、
救われてきました。
そして、この考え方のおかげもあって、僕はすべてを受け入れられる自信があります。
なにか辛いことがあったり、ピンチの時、心の中でこのことばを、となえます。
例えば、
大失敗をしてしまった人。
事故などで日常を失って、苦しんでいる人。
嫌なことがあって行動できない人。
友人や家族、恋人とケンカした人。
過去に戻りたい!と思っている人。
なにもやる気が起きない人。
そんなあなたに、このことばを贈ります。
『それが、お前に、ちょうどいい』
僕はある講演会のCDで、このことばを聞きました。
元は、仏教の良寛さんという方の残した詩らしいです。
以下引用です。
お前はお前で丁度良い
顔も体も名前も姓も、それはお前に丁度良い
貧も富も親も子も、息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度良い幸も不幸も喜びも、悲しみさえも丁度良い
歩いたお前の人生は、悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度良い地獄へ行こうと極楽へ行こうと、行ったところが丁度良い
うぬぼれることもことも無ければ、卑下することも無い
上も無ければ下も無い、死ぬ月日さえも丁度良い御仏と二人連れのこの人生が
丁度良くないはずが無いお前にそれは丁度良い
初めて聞いた時は、何とも思いませんでした。
ある時、このことばが腑に落ちるような感覚を味わいました。
そして、悩みが解決しました。それ以来、僕が大切にしている言葉です。
つまりどういうことか、という観点で、僕の考えを書きます。
何かとてつもなく辛いこと、わるいことが起きたとします。
しかし、その出来事が、未来永劫悪いことであるかどうかは、わかりません。
いくらその時、辛い、と感じたとしても、その出来事のおかげで、いい結果になる可能性もあります。
例えばある失敗をしてしまったとしても、
その失敗のおかげで、もっと深刻な大失敗を回避できるかもしれない。
例えば恋人にフラれて、辛かったとしても、
フラれたおかげで、運命の人と出会えるかもしれない。
全ての出来事は、それが最終的に「よい」か「悪い」かなんて、わかりません。わかるわけがありません。そして、「よい」と解釈することはできます。
こう考えると、全ては「ちょうどよい」と考えることもできると思います。
今の自分があるのも、過去のすべての出来事のおかげです。
良いことも悪いことも全部、過去の「よかったこと」「わるかったこと」など、全てのことの上に、成り立っています。
辛いことがなければ、良いことも起きなかったかもしれない、ということです。
また、失敗と成功、というのも、一つの解釈です。
ある事実を「成功」、ある事実を「失敗」と解釈しているにすぎません。
失敗も成功も、「行動の結果」です。僕はどんどん失敗すればいいと思います。
そして大切なのは、「そこから何を学ぶことができるか」「今後にどう生かすことができるか」です。
怖いのは、「失敗すること」ではなく、「失敗を恐れて、行動しないこと」だと思います。
全てが、ちょうどいいんだ!と納得することができたとき、それはつまり、全てを受け入れられた時、だと思います。
つまり自己受容であり、幸せや、悩みの解決につながると思います。
全部ちょうどいいと思えたら、楽になると思います。
あなたの幸せのきっかけになれたら、とてもうれしいです。
最後に、「全部ちょうどいい」と思えるようになった後のことを書きます。
僕はある時、こう思いました。
全部「受け入れられる」としたら、「頑張る理由がなくなってしまう」のではないか。
つまり、辛いことも何もかも、全てを「受け入れることができる」ようになってしまうと、成長しなくなるのではないか、ということです。
僕はこれに気付いて結構困りましたが、すぐに解決しました。ご安心ください。
「自分が幸せ」になるには、「自分が全てを受け入れられる」ことができればOKです。
しかし、「人の幸せに貢献する」ためには、「成長したり、頑張ることが必要」です。
つまり、全てを受け入れたうえで、世のため人のために、成長しがんばる必要があるということです。
こう考えることで僕は納得しました。
というか書いていて気づきましたが、
これってまさに、「自己受容」と「他者貢献」。
アドラー心理学の、幸せの材料。
アドラーさん、すげえええええ。
というわけで、全てを受け入れられるようになった方も、ご安心ください。
いかがでしたか?
コメントなど大歓迎です。いつもありがとうございます。
今日もいい天気な1日に感謝。
読んでくださってありがとうございます!