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<最終候補4作品から解説する>五輪エンブレムのデザインに「優劣」など出ない

メディアゴン 4月9日(土)15時45分配信

藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者]

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4月8日、2020年東京オリンピックの新エンブレム公募の最終候補4作品が発表された。

【画像】過去の五輪レンブレム一覧

この日は筆者もいくつかのメディアから最終候補となった4作品についての意見を求められたので、思うところを発言したが、伝わりづらい部分が多いように感じた。

もちろん、主観であればどうとでも言えるし、粗探しをすれば批判もできる。しかし、筆者が専門家として求められているのは、客観的に「何が/どれが/どこが良いのか?」ということだろう。となるとその回答は難しい。

なぜなら、五輪エンブレムのデザインに、本来「優劣」などはないからだ。

例えば、過去数十年分の五輪エンブレムを一覧にしてみれば一目瞭然なのだが、「素晴らしいデザインだ!」と賛美するようなものばかりではない。愛着の持てる良いデザインは多いと思うが、ただそれだけだ。

特に、近年のエンブレムの傾向で言えば、無国籍でこれといった五輪らしさがあるわけでもない。かといって、批判したり、嫌うようなものでもない。ようは「とりたてて悪い面がない=おしなべて良い」ということが五輪エンブレムの特徴だ。

過去の五輪エンブレムの「とりたてて悪い面がない=おしなべて良い」が意味することは、それがどんな形状でも採用されてしまえば、見た目とは無関係に自然に五輪の象徴として浸透し、馴染んで行くものだ、ということでもある。それはそれでデザインのあるべき姿なのだろう。

五輪とは世界トップレベルのアスリートが記録を争い、その感動を共有するということが本来の楽しみ方だ。エンブレムがどのようなデザインだろうが、それで困る人はほとんどいないというのも実態だ。

仮に「ダサい」エンブレムが採用されたとしても、利用が開始されてしまえば、それはそれで受け入れられてゆく。むしろ「過去最高にダサいエンブレム」として、一つの記録、レジェントとして批判や嘲笑も含めて、アスリートたちの名場面とともに思い出になってゆくだろう。

デザインの良し悪しや優劣などとは無関係に、自然と受け入れられ、愛され、しっくり来てしまうものこそが五輪のコンテンツ。五輪自体がもっている前向きなイメージの底力だ。

ただし、不正や疑惑があれば話は別だ。スポーツマンシップ、純粋性という美しさが至上の価値となっている場面で、それを利用した「あやしい動き」に世界中の人が批判的だ。前回の佐野研二郎氏のエンブレム騒動とは、そんな純粋性の中でだからこそ、あそこまで大きく炎上したのだ。

前回のエンブレム騒動の経過や「炎上」については、拙著「だからデザイナーは炎上する」(中公新書ラクレ)で、インターネット時代のデザイン/デザイナーのあり方も含めて詳述したので、それを参考にして欲しい。

さて、そういった五輪エンブレム本来のあり方から、今回の最終候補となった4作品を見てみたい。

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最終更新:4月9日(土)15時45分

メディアゴン

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