『非常識な建築業界――「どや建築」という病』
(森山高至著、光文社新書)
写真》町並み――米国チャールストンの思い出
 
 ザハ・ハディドさんが3月末に亡くなった。イラク出身、英国に拠点を置く建築家。日本では新国立競技場騒動で一躍時の人になった。彼女の大胆で奇抜なデザインは2012年の設計競技で「最優秀」に選ばれたものの、去年になって白紙に戻された。本人には、腹の虫がおさまらないということもあっただろう。建築界のスターを失うという訃報が、日本社会にとっては悲しいだけでなく苦いものともなった。
 
 僕が思うに、今回の騒動では世間の目が工費の膨張ばかりに向かい過ぎた。ハディド案は造形としてみたときに斬新で興味をそそられるが、それがあの場所に座を占めるのが適当かどうか、ということがもっと語られてよかったのではないか。
 
 明治神宮外苑の当該地は1943(昭和18)年、出陣学徒を戦場へ送りだした壮行会場だ。同じ地点が64(昭和39)年、人類の祭典、東京オリンピックの舞台となる。わずか21年の間に日本社会が経験した激動を象徴するのが、あの場所だった。そこに立つ人は、軍国主義と平和希求、高度成長と環境破壊というように戦中戦後の暗と明、明と暗に意識が及ぶだろう。そんな心理に共振する建物であってほしいという思いが僕にはある。
 
 この問題では去年、言論サイトWEBRONZAに論考2本を出した(2015年7月15日付「建築は建築家だけのものではない」、同9月10日付「新競技場をカネのことだけで語るな」=いずれも後段は有料)。前者では、当初の設計競技に競技場をランドマークとして仰ぐ町の人々の声が反映されていないことを批判した。後者では、設計のやり直しにあたって工費のことばかりが関心事となり、歴史観が置き忘れられていることを嘆いた。

 当初案の不幸な顛末を踏まえて考えるべきは、アートとしての建築を社会という場にどう接合させていくかということだろう。そんな問いを、前衛的な作風で果敢に投げかけたのがハディドさんだったとも言える。その答えさがしは建築家まかせにはできない。

 ということで、今週は『非常識な建築業界――「どや建築」という病』(森山高至著、光文社新書)。著者は1965年生まれ。大学で建築を学び、大学院で政治経済を修めた建築エコノミストで、実務も経験している。この本は今年2月に出た。新国立競技場問題で建築のアートとしての側面に切り込み、マンション杭打ち問題で業界の現況を憂うるジャーナリスティックな内容だが、今回は前者のみに焦点を当てることにする。
 
 なによりも目を引くのは、副題にある「どや建築」という耳慣れない言葉だ。由来は、近年巷に広まった新語「どや顔」にある。関西弁で「どや」と言い放っているような得意満面の建築が町のそこここに出てきているというのである。著者によれば、それは「周囲の環境とまったく調和しない、それ単体での成立を目指す彫刻のような建物」だ。それらを設計する人々のことを「表現建築家」と名づけている。
 
 そこにあるのは「オリジナル幻想」だという。原点は、大学の建築教育にもあるらしい。著者は学生時代の設計演習を振り返りながら、こう言う。「先生はどこにでもありそうな戸建住宅を思わせる図面が提出されると、『こんなのは建売住宅のプラン(間取り)だよ』と吐き捨てるように一蹴します」。そんな酷評を受けた学生は「ありきたりな住宅とは何かも知らないうちに、オリジナルに向かって駆け出していく」。
 
 1990年代から「どや建築」の精神的支柱となったのが脱構築主義だ。当欄でもとりあげたフランスの哲学者ジャック・デリダの思想である(2015年6月12日付「デリダ、脱構築の『嘘』論と『赦し』論」)。「哲学的な一つの強い言説は、そのなかにすでに対抗する概念をあらかじめ含んでいる」という見解が、「建築におけるさまざまな決まり事に異議申し立てをして、批評したらどうだろうか」という発想につながったという。
 
 そもそも建築に脱構築というのは異な取り合わせではある。だからだろう、著者によれば「建物としてはしっかり構築されていて、『脱構築している』のは外側のハリボテ部分だけ」というものが次々に現れた。外見だけ「ねじれている」のである。
 
 それでは満足しなかったのが、ザハ・ハディドさんだ。筋金入り、本気度の高い脱構築派。「建築構造自体を物理的に脱構築できないか大真面目に考えていた」。大都市の交通網、情報網にみられるような「アンバランス」「速度」「ネットワーク」といった動的な概念を静的な構造で表現しようとした。彼女が「アンビルトの女王」(建たない建築の女王)と呼ばれてきたのも、もっともと肯ける。
 
 著者は、自身もかつては彼女に共鳴していたことを率直に吐露している。「20代の頃はそんなアバンギャルドな建築にすっかり魅了されていました。『ザハ、がんばれ』と応援すらしていたものです」。今回の新国立競技場当初案に対しては「狭小な敷地における巨大構造の実現性を除けば、これまでのザハ建築の提案のなかではかなりバランスのとれた部類」と弁護の言葉を忘れていない。
 
 だが、この本の主題はあくまでも「どや建築」批判にある。そこでまず問題視されるのは、建築界に根強い「最新の意匠(デザイン)」志向だ。「建築家たちは、『世界をつくり直す』のが自分たちの責務と信じ、『何でもない景観』を流行のデザインや『巨大でグロテスクな建築物』で制圧することをやめません」。服飾や髪形のように流行を追い、どや顔で自己主張する。そんな風潮を嘆くのである。
 
 これは、僕が街歩きの好きな一人の町びととして思ってきたことと、ぴったり重なる。建築系雑誌のグラビアでは建物単体が作品としてとりあげられるが、僕たちがそれを見るときは町並みの一部としてとらえる。この矛盾が気になってしようがないのだ。だから科学記者になってからは、町並みの輪郭――スカイライン――をフラクタル次元と呼ばれる複雑さの指標などで数値化する試みを記事にしたりしてきた。
 
 この本も、名建築について「建物単体での美学的評価だけでは、ましてや建築デザインのコンセプトや解釈の仕方といった批評性だけでは、決して成立し得ない」と断じる。建築家が「自分一人の才」の果実と言い張るような「作品」が建つと「周辺環境に激しいノイズが発生します」「そこが汚染源となり、その地域の資産すべてを蚕食(さんしょく)してしまうおそれすらあります」と述べ、先人が積み重ねたものへの敬意も促す。
 
 この本には、どや顔のノイズを免れた例も挙がっている。その一つが、東京・代官山のヒルサイドテラス。1969年以来、旧山手通り沿いに延びていった建築群だ。設計者は槇文彦さん。今回の新国立競技場問題でハディド案を見直すよう提言した人である。
 
 白っぽい外壁とガラスを基調とした丈の低い建物の並びが、背後の傾斜地の樹林とともに心地よい空間を生みだし、憩いの場、文化の発信地であり続けている。著者はそこに、地主の「炯眼」と槇さんの「謙虚」をみてとる。前者は高層ビルを嫌ったこと。後者は「目の前の流行や短期的利益に対して慎重」であったこと。これこそは「刻々と変化していく人々の生活」という社会の新陳代謝を受け入れた「真のメタボリズム建築」だという。
 
 著者は、建築の値打ちがアートの視点でばかり定まる傾向に「『大衆から評価される仕組み』が存在しない」という現実をみる。「大衆」に求められるものとして、『韓非子』の故事を引きあいに出しながら「名馬の鑑定法」ではなく「駄馬の鑑定法」を薦める。「一般の人でも建築における『駄馬の鑑定法』を知っていれば、どや顔で地域を破壊しかねない『箱モノ公共建築』を自分たちの力で駆逐することもできるはずです」
 
 町の人々よ。建築ではなく町並みをどや顔に変えようではないか。
(執筆撮影・尾関章、通算311回)
 
■引用箇所はとくにことわりがない限り、冒頭に掲げた本からのものです。
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コメント
《ご感想ありがとう》(森山さん)
……ということは、この本をお書きになった森山さんでしょうか。
もしそうならば、拙稿に早々と目をおとめになり、お読みいただいたなんて、僕にとってこそうれしいことです。
  • by 尾関章
  • 2016/04/09 11:54 PM
ご感想ありがとうございます!!
  • by 森山
  • 2016/04/09 8:22 PM
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