【巨人】“はい上がって北”遅咲き黄金88年世代!移籍後、初出場初安打
◆中日0―0巨人=延長12回規定により引き分け=(9日・ナゴヤドーム)
プロ10年の全てをバットに込めた。北が鬼の形相でフルスイングすると、逆方向に痛烈なライナーが伸びた。2回先頭。巨人移籍後、初出場初打席で吉見から左前安打。「満足はしていないです。試合の流れの中でもう一本、打ったり、つないだりできればよかったです」。後の2打席でともに空振り三振に倒れただけに、試合後は喜びより悔しさを口にした。それでも、初っぱなから鮮烈なインパクトを残した。
“競争枠”に入った。開幕からこの日まで亀井、中井、大田、堂上と実に4人が務めた「6番・左翼」でのスタメン枠。9番の投手を除き、1~5、7、8と不動のオーダーを組む中、阿部の不在などもあり、いまだ流動的な打順に座り、クリーンヒットをはじき返した。「チャンスをつかめるように毎日、ワンプレーに全力、最善を尽くしていきたいです」と6番争いへ気合をみなぎらせた。
坂本、沢村、前田(ドジャース)、田中(ヤンキース)と同じ88年世代。未来のエース候補として高校生ドラフト1巡目で横浜(現DeNA)に入団したが野手に転向し、日本ハム、巨人と渡り歩いた苦労人を支える座右の銘がある。「栄光に近道なし」。「中学時代の恩師から言われた言葉で今でも大切にしています」。2月の宮崎キャンプでは2軍スタートだったが腐らなかった。松井秀喜臨時コーチから直接指導を受けた際にもらった「重心を後ろに残しすぎないように」の助言を呪文のようにつぶやきながら、朝から晩までバットを振り、結果につなげた。
ジャイアンツのユニホームを身にまとい、初めて1軍の舞台を経験した27歳は「ピッチャーの方々を打撃でも守りでも、もっと助けてあげたかったです。前を向いてやっていきたいです」。ゴジラも認めた持ち前の打撃センスで遅咲きのブレイクを狙う。(中村 大悟)
◆北 篤(きた・あつし)アラカルト
▼生まれとサイズ 1988年11月26日、石川県生まれ。27歳。182センチ、88キロ。
▼球歴 小学1年から野球を始める。小松工ではMAX145キロの本格派右腕として活躍し、2年時の05年夏、石川大会で準優勝。06年高校生ドラフト1巡目で横浜(現DeNA)に入団し、12年オフに日本ハムに移籍。15年6月に交換トレードで巨人入り。
▼二刀流 投手として横浜に入団も08年に右肘を疲労骨折し、手術を受けた。同年オフに高校通算32本塁打の打力を生かすために野手に転向。
▼長打力 横浜時代の08年の秋季キャンプでは、横須賀のベイスターズ球場のバックスクリーンを越える、推定150メートル弾を放った。
▼ゴジラチルドレン 今春の宮崎キャンプでは、同じ石川出身で臨時コーチを務めた松井氏から打撃時の重心の置き方などについて直接指導を受けた。2月14日に行われた2軍対3軍戦でソロ本塁打を放つなど、早速結果を残した。