店長日記

当社は元禄年間に初代貝屋新左衛門が創業以来、現社長が十一代目を襲名する老舗でございます

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こだわり(製造工程あり)

選ばれている貝新の佃煮

桑名と時雨蛤


「桑名の殿さん時雨で茶々漬」の民謡で名高い桑名は、その昔宗?の高弟連歌師宗長の『宗長日記』の中で「此津南北美濃尾張の河ひとつに落ちて、みなとのひろさ五六町、寺寺家々数千軒云々」と、当時の盛況が記されているように、「十楽の津」として、大阪の堺と共に港町としてその名を知られました。

関ヶ原合戦後の慶長六年には本多忠勝が桑名城主となり、城郭を修築し、町割を断行して、民政につとめ、桑名藩創業の名君と仰がれました。
元和四年松平定勝が城主となってからは、松平氏十一万石の城下町として栄えました。
さらに江戸時代には熱田の宮から海上七里、東海道五十三次の要衝でもあり、桑名は港町・宿場町・城下町として中世近世を通じて栄えたのです。
時雨蛤は、はじめ煮蛤(にはまぐり)と称した蛤の煮付けで、遠方まで土産として持ち帰るために、蛤をよく煮しめて製造したものです。『絵本名物桑名の時雨蛤の巻』によれば「時雨蛤の味わひなをさらにして諸々の土産としてあらそい求むる諸人多くして見世先ことににぎわし」とあります。
この時雨蛤は、桑名城下今一色で多く製造され、桑名城主より宮中をはじめ将軍へも毎年献上されました。これは『桑名志』、『桑府名勝志』に詳しく記されています。

時雨蛤と貝新


桑名は城下町であると同時に、宿場町として交通も頻繁にあったので、早くから祖先は焼蛤や煮蛤を業としげいましたが、初代貝屋新左衛門はこの煮蛤に「時雨蛤」の名をつけて看板をあげました。
貝屋新左衛門はこの煮蛤に「時雨蛤」の名をつけて看板をあげました。貝屋新左衛門であったので「貝新」の屋号が生まれ、人々から親しまれてまいりました。
藩主のお引立で、仕出方御用達を仰せつかり、御用商人として桑名藩の為に大いに尽くし、宮中や将軍への献上も毎年行なわれました。
嘉永三年には、次のような苗字御免の特典を得て、当時の商人として最高の栄誉を得ることができました。

製造工程


蛤を生のまま一つ一つむいて水でよく洗い砂を除きます。

 
沸騰した湯に入れて湯煮します。これをあげ湯を切り、生引溜を沸騰させたハソリ(大鍋)にその貝を粗く入れ半時間位煮て出来上がります。

※クリックで拡大します。
この時に刻んだ生姜を入れて風味をつけます。多めの溜の中で浮かしながら煮るので、これを「浮かし煮」と呼び「時雨煮」の特徴です。使用する溜には、以前よりの「もと溜」に新しい溜を加えて用います。時雨蛤が他の佃煮と違って独特の風味を持つのは、このように老舗独自の製法で吟味して製造されるからです。