Number(ナンバー)897号 俺たちのJ 2016 その先の世界へ― (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
- 作者: Number編集部
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2016/03/03
- メディア: 雑誌
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連載6回目のタイトルは『ユニバーサル』
前回はタイガーマスク即ち佐山聡の失踪、新日への契約解除通告で終わりましたが、新日の本格的な混迷はここから始まります。
新日本プロレス経営陣は一新されて、トロイカ体制での運営に向けて動き出したかと思われますが、ここからがプロレス業界の本領発揮。
わずか2カ月半後の11月11日に急転直下、猪木が社長に、坂口が副社長に復帰した。テレビ朝日の三浦甲子二専務が介入したのである。
「お前たち、何をやっているんだ。アンントニオ猪木のいない新日本プロレスなどありえない。猪木が社長を降りるなら、テレビ朝日は新日本プロレスから新日本プロレスから手を引くぞ。猪木と坂口に新団体を作らせて、そっちを中継するからな」
当時のプロレス団体は、TVの放映権料無しには団体が存続出来ませんでした。
全国中継という認知のベースがあってこその、地方興行でありグッズの売り上げですから、「初めにTVありき」。TV局の言うことは絶対です。まあ、裏で相当画策があったと見るべきでしょう。
三浦の鶴の一声で猪木と坂口は新日本プロレスに戻った。ただひとり、新間寿だけが戻れなかった。
新日本プロレスを改革しようとするクーデターは、結局、何も生み出さなかった。
残ったのは禍根だけだった。
営業部長の大塚直樹は興行会社「新日本プロレス興行」を立ち上げて独立すべく、さっさと動き出してしまった。
本文では触れられていませんが、TV局の介入時に「新間寿」の復帰が条件として挙げられなかったのは、クーデーターの落としどころとして新間氏が悪者にされた。トカゲの尻尾切りのようにレスラーの恨みを買う役どころを押し付けられたと見るべきでしょう。
ところが新間氏、これに気付かない。薄々気づいてはいても、猪木と二人三脚で新日本プロレスをメジャー団体として育ててきたという自負が邪魔をして、無意識に認識を拒んだのではないかと。
怨嗟に燃える新間氏に、渡りの船の話が飛び込んできます。
「悔しいだろう。どうだ、アイツらを見返してやらないか?」
川島によれば、新間が新たにプロレス団体を設立すれば、フジテレビが放映してくれるという。
新間は俄然やる気になった。
自分の手で新団体を作ろう。
猪木もタイガーマスクも長州力も根こそぎ引き抜く。信頼関係のあるWWFのビンス・マクマホン・シニアに頼んで、アンドレ・ザ・ジャイアントやハルク・ホーガンも呼んでくる。
ここに新間氏の自分の力量への過信を感じます。
「猪木あっての新間寿」のであり、
「太陽としての猪木がいたからこそ、新間寿の月としての存在価値があった」
それもプロデューサーとしての力量を評価するのはごく一部の業界関係者だけで、レスラーからすれば「なんだあんな奴」というのが業界内の新間評ではなかったかと。
新間が真っ先に声をかけたのは、かつての盟友アントニオ猪木であった。
新間にとっての猪木は、あれほど尽くした自分をあっさりと切り捨て、ひとり新日本プロレスに戻った裏切者である。
しかし、その一方で、新間は猪木を深く愛していた。
「40歳を越えたアントニオ猪木に新たな活躍の舞台を与えることができるのは自分以外にはない。もう一度、猪木とともに新たなプロレスブームを作り出したい」
そんな甘い夢を見た新間は、2500万円を猪木に渡して、新団体UWFへの協力を要請した。
新日本プロレスの選手が数人欲しい。猪木自身もUWFのリングに上がって挨拶をしてほしい。UWFが軌道に乗れば、UWFの試合にも出て欲しいと言ったのだ。
こういう時の猪木は利に敏いですからね。悪く言えば汚い。
儲け話にはいっちょ噛みしておいて、形勢が悪くなれば掌を返す。初めから「ヤバくなったら、手の平を返せばいいじゃん」と思っているフシすらあります。
猪木の一番近くに、一番長く寄り添ってきた新間寿ですから、そこは充分に分かっていたはず。おすらく自分の描いた絵の中では、「猪木は利で縛れる」と思っていたのでしょう。どっちもどっちじゃん!というレベルではありますが。
UWFを大きくしてみせる。いつかはアントニオ猪木も、ジャイアント馬場も上がりたくなるような団体にしてみせる。
そんな野望を抱く新間は、次に長州力を口説いた。
しかし長州は新間寿の誘いに応じず、維新軍団と共に新団体への参加を拒みます。
当時の新日本プロレスの選手で、残された客を呼べるスターは誰か?
エース不在で新団体を立ち上げることなど不可能ですから、新間寿に残されたカードはもはや佐山聡しかありません。人間的にも金銭面でも強い不信感を持たれている佐山を、新間寿は口説き落とします。このあたりはさすが新間寿。
「ニューヨーのマディソン・スクウェア・ガーデンで再デビュー戦をやろう。WWFジュニアヘビー級タイトルマッチだ。もちろん君が勝って新チャンピオンになる。凱旋帰国した後はUWFのエースとして迎える。UWFはフジテレビがゴールデンタイムで放映してくれるから、メンンイベンターである君には、これまでの数倍のギャランティが支払われることになる」
佐山は新間の提案に同意し、再び虎のマスクをかぶることにした。
1984年1月末の時点で、佐山を手に入れた新間が描くUWFの未来図は次のようなものだったはずだ。(中略)
新王者誕生の一部始終はビデオカメラに収められ、4月4日水曜夜8時にスタートするフジテレビ『激闘ザ・プロレス』の枠内で、全国23局ネットで放映されることになる。
タイガーマスクの突然の引退を悲しんでいた日本中のプロレスファンは、不死鳥のように甦ったタイガーマスクをテレビで見て狂喜乱舞する。
そして、1週間後の4月11日んはUWFの旗揚げ戦が大宮スケートセンターで行われる。テレビを見たファンは、復活したザ・タイガーの勇姿を自分の目で確かめようと、大挙して会場に押し寄せてくるだろう。
この時点で新間寿はビンス・マクマホン・シニアとの個人的な友好関係に加え、名誉職とはいえWWFの会長の地位にありました。WWFカードという切り札を駆使したこのプランならば、「いける!」と新間寿本人も業界関係者も思ったはずです。
ところがどっこい、そうは問屋が卸しません。友好関係にあると思われた新日本プロレスから、WWFに対して抗議が入ります。
テレビ朝日とWWFで交わされた契約には「テレビ朝日と契約中の選手は他局の放送に出演できない」という条項がある。佐山聡とテレビアサヒの契約は1985年3月までのこっている。
WWFのリングに上がる佐山をフジテレビが放映することを許可するのは契約違反である。もしそうなれば新日本プロレスは違約金を請求せざるを得ない。
選手契約の解除通告を新日本プロレスに叩きつけた佐山聡はの身分は、法律的にフリーだと新間寿は思い込んでいたに違いありません。
しかしテレビ朝日と新日本プロレスは契約内容を熟知した上で、「通達を受けてからのリードタイムの少なさ」を言い訳に強硬突破を図られることは無いが、新手を考えるにはもう間に合わない、という絶妙のタイミングで抗議に出たと私は睨んでいます。
新間寿は弁護士を通じ、法律的なあらゆる可能性を検討したでしょうがそこはテレビ朝日が1枚上手。
「シンマ、君は我々の友人だ。しかし、テレビ朝日との契約が残っている以上、サトル・サヤマをWWFのリングに上げることはできない」
WWFから連絡を受けた新間は2月5日に大慌てでワシントンに飛んだ。しかし、WWFとの交渉は不調に終わった、新間が頼みとするビンス・マクマホン・シニアは、すでに膵臓ガンで病床にあったのだ。
ニューヨークで再デビューする話が消滅したことで、佐山聡がUWFに参戦する話はご破算になった。
ギリギリまで待たされたあげく、目玉商品のザ・タイガーがいなくなったと聞かされたフジレテビは激怒した。(中略)
3月8日、フジテレビは「プロレス放送はやらない」と表明。
莫大なカネが動くゴールデンタイムの番組を消滅させた新間寿は、業界関係者からの信用を一挙に失った。
1984年4月11日 大宮スケートセンターでの旗揚げ戦を含む、UWFオープニング・シーリズの珍妙なポスターを覚えていない昭和プロレスファンはいないでしょう。
中央には選手ではなく、マイクを握った新間寿の上半身を大きく配し、
私は既に数十人のレスラーを確保した
私はプロレス界に万里の長城を築く
近日中に驚異のメンバー発表!!
といった何故か新間寿が主語の惹句と、中途半端な告知が踊ります。
この時のUWFには新間寿の信用、「新間なら何かやってくれるだろう」という期待感以外には何も無い状態。そしてそのいずれも、一般のプロレスファンには届きにくいものでした。
大量に使った「候補レスラー」の写真も、今となっては唖然とするしかありません(当時も唖然としましたが)
猪木、ザ・タイガー、長州、アンドレ、ホーガンといった20名の顔ぶれはメジャーレベルでしたが、幸い訴訟には発展しなかったそうです。
フジレテビからの放映権料が入らなければ、WWFとの契約など到底不可能だ。
テレビはつかず、カネはない。主役の日本人レスラーにも逃げられ、豪華な外国人レスラーも呼べない。
つまり、新間寿のUWFは旗揚げ以前の段階で、すでに終わっている。早晩潰れる団体に目くじらを立てることもないだろう。
結局、新間が集められたレスラーは、前田明、ラッシャー木村、剛竜馬、そしてメキシコからやってきたグラン浜田の4人だけ。これではどうにもならない。
「青春のエスペランサ」高田延彦の名前がここで出てくるのに注目です。高田などは、レスラーの運命がちょっとしたことで変ってしまう典型でしょう。
日本人エースは前田明。将来性を買われたレスラーではありましたが、正直まだ客を呼べるレスラーとはいいがたい。
大きな身体の割に「固くて地味な試合」しか出来ない、不器用な選手だったと記憶しています。
他の日本人レスラーもファイトスタイルがバラバラで、団体のカラーなど打ち出しようが無かったでしょう。マッチメイカーも頭を抱えたはずです。
しかしプロレスメディアが団体の管制下にあった当時のことです。こういった詳細は、事前にファンに伝えられることはなかったはず。
「新間ならやってくれる」
「当日は、きっと驚くようなカードが組まれるに違いない」
「選手情報が少ないのは、新間流のサプライズを狙ったものでは?」
オープニングマッチのチケットは、きっとそんな期待を込めたファンによって購入されたに違いありません。
マジソンで3月26日、WWFインターヘビー級王者となった前田明 VSダッチ・マンテル戦をメインイベントに、UWFは旗揚げ戦に臨みます。
以上 ふにやんま