編集委員・大久保真紀
2016年4月2日10時30分
■第6章:11
弘前公園はピンク色に染まっていた。
2010年春。青森市の牧師、澁谷友光さん(52)は、妻と娘を連れて満開の桜を見に来ていた。その美しさはため息が出るほどだった。
不意に、涙が出てきた。
その約8カ月前に裁判員を務めた強盗強姦(ごうかん)事件の被害者たちを思い出したのだ。
「傷ついた彼女たちは、この美しい桜を、そのまま美しいと感じることができているだろうか」
そう思うと、胸が詰まり、自然と涙が流れた。
満開の桜は「冬が終わって春が来た!」という歓喜の時の象徴だ。被害者の女性たちはその幸せを感じられているだろうか。経済的に引っ越しができていないと言っていた女性はアパートを変わることができたのだろうか。
そんなことが次々と心に浮かんだ。
被告の男性(裁判当時22)のことも頭をよぎった。裁判長が判決の言い渡しの際にかけた言葉「あきらめではなく、更生を期待しての懲役15年」が、自分たちの本心であることをわかっていてくれているだろうか、と。
被告は判決から約2週間後の09年9月17日に「量刑不当」として仙台高裁に控訴した。澁谷さんはそのことを、知り合いの記者から知らされた。
「あれっ? どうしてだろう」
不愉快とか怒りとかの気持ちは全くなかった。ただ、裁判長の言葉にうなずくなどした判決公判での被告の様子を思い出して、懲役15年に込めた自分たちの思いは届いていると思っていた。判決を受け入れたのではなかったのか、と疑問に思った。
だが、控訴するのは被告の権利だ。それまでなら、せいぜい懲役7年ぐらいのところを15年と宣告されたのだから、1年でも2年でも刑期を短くしたいと思ったのかもしれない、と思い直した。
控訴は10年3月10日に棄却され、被告はさらに最高裁に上告した。「彼が失望していなければいいけれど。彼はどうしているだろうか」との思いを澁谷さんは持った。
被告は、一審の判決後、宮城刑務所仙台拘置支所に移送された。その被告に、朝日新聞の記者が面会し、話を聞いている。
被告の目に裁判員裁判はどのように映ったのか。市民から選ばれた裁判員に理解できるように、検察、弁護側双方がモニターや図表を使って事件を説明する様子はまるで「プレゼンテーション」のようだったという。被告への質問を裁判員に促す裁判長の態度も含め、裁判員らに気を使うさまに、被告は「置き去りにされている感覚」を覚えた、と告白した。
一方で、裁判員がいてくれてよかった、裁判長が判決要旨を読み上げているときに、ハンカチで目頭を押さえる裁判員の姿を見て、親身になってくれていると感じた、と被告は記者に話した。
澁谷さんは、被告に面会したほかの社の記者からも様子を聞いた。裁判員裁判で裁かれたことに納得しているかとの問いに、被告は「よかったと思う」と回答。「量刑は従来の倍以上になったのに、どうして?」と問われ、「最後の法廷で私のために泣いている人がいた。涙は忘れられない」と話したという。
それを聞いた澁谷さんは、うれしかった。
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