読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

f:id:tigerace1943:20160409184608p:plain

                                                                                                         (作家・宮本輝

 

パニック障害は、以前は「不安神経症」の症例の一部として、認識されていた。

事実、ぼくも「不安神経症」と診断され、治療を受けてきた。

ぼくは、21歳の時、自宅の風呂場で何の前触れもなく「このまま、死んでしまうのではないか?発狂するのではないか?」という激烈な恐怖に襲われたのが、この病気との長きにわたるお付き合いの始まりである。この病気は、時と場所を選ばず、常に「また、発作に襲われるのではないか?」という「予期不安」に付きまとわれる。また、この筆舌に尽くしがたい不安感、恐怖感は、経験したものでなければ、わからない。恋人や、友人、家族にだって、わかってもらえない。

広場恐怖症ともいって、目に映る、心に描くありとあらゆるものが、根拠のない不安と恐怖の対象になる、厄介極まる病気である。

日本人の約5パーセントが発症している。

1992年、そういった不安障害、パニック発作、混在する恐怖症をひとつの病気としてWHO(世界保健機構)は「パニック障害」と正式に命名した。

ぼくは本が好きで、宮本輝作品に特に惹かれていた。宮本輝パニック障害に苦しんでいた。リスペクトしている作家が、同じ病気であることが、心強かった。1983年、ぼくは、彼のエッセイ集「命の器」に出会う。その中の「命の力」で彼は、文芸評論家の小林秀雄の言葉を引用している。『命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ』と。「私はこの小林氏の言葉を、いまは信じることが出来る。肉体の力でもなく、精神の力でもない。まさしく命の力なのであって、それは「感じる」のではなく「観じる」のである。(中略)突然私を見舞ったノイローゼという病気が、いったい私に何を与えたかを書いているのである。(中略)私はなぜ小説家になれたのか。そんなものに答えはない。だが、自分の背負ったノイローゼという病気を、わが内的必然と観じたとき、私は初めて肚が決まったのである。そこから、私の中にある命が湧いた。(後略)』(「命の器」宮本輝講談社刊)。

宮本輝は、つまりは、パニック障害は、偶然ではなく、小説家の資質として必要不可欠なものと受け取った。いや、観じたのである。

ぼくも、物書きのはしくれとして、「あなたは、この病気を持っているから、詩が書けているのですよ。ありがたいと思わなきゃ」と精神科医に、おだてつづけられ、ここまできた。時には、薬の力も借りながら、何度も起ち上がってきた。

そういえば、ぼくが抱いた不安、恐怖、パニックのショックは、しばらくはダメージとして残るけれど、ほとんどが脳内で起こった出来事で、その実、発症から35年、苦しかったけれど、重篤な何かは、ただのひとつも現実としては、起こっていない。どうにもなっていない。死んでいない。狂っていない。怖いのではないかと思った対象が、いまは全然怖くない。生きている。25年前と同く、詩を書いている。

これから先も、不安と恐怖が起こっても、現実には何も起こらない。

明日あたりパニック障害発症35周年記念パーティー」でも催しますかな。