定価 6800円 | |
Lipstick Adv
PC88版 1988/10/15 | 美少女ゲーム初期の代表作、中々に練られた推理劇。 音美のエロシーンは・・・ |
エルフがピンチである。 何故ピンチになったのかは、ニュースサイトでも話題の通りで予定調和だったのは言うまでもない。 結果的にこうなったのは自業自得といえなくもないが、天下のエルフがむざむざと首位陥落してしまうのは悲しすぎる。 エルフ派だった当方としても不本意だが、何かのきっかけになればとあえてエルフの歴史を執筆する事にした。 これを見て興味を覚えた方は多くのゲームがDMMで発売中なので手に入らないもの以外は買っていただければ幸いだ。 また、色々とお察しくださいが多いブランドでもあったので流れに出て来ない部分が多々あるが、それについては各々で補足して頂ければと思う。 某社との誤検索を避けるため「エルフソフト」という表記を使用しているので予めご容赦頂きたい。 |
エルフ公式サイトが3/31をもって閉鎖となりました。 ささやかながら追悼サイトをご用意しましたので、もしよかったらご利用くださいm(__)m |
任天堂から発売されたファミコンソフトは一大ブームを起こし、若者から青年までみんなゲームの世界に取り込まれた。 これまでの文化は一新され、時代は一気にコンピュータ世代へと移行する。 同じくして発売されたNECのPC98シリーズは、これまでの米国に特化した機種とは違う高速な日本語表示と軽 快な操作性。 16ビットの夜明けは640×400ドット8色カラー表示から始まり、時代はパソコンゲームへと移り変わっていった。 バイクにウォークマン、レコードにカセットテープ。 若者を支配していた文化はコンピュータの登場で一台の機械で 全て叶ってしまう。 算盤や電子計算機に頼っていたオフィスは新しいパソコンという便利なものを求め、ペンで書いていたイラストは マウスで書けるようになった。 そんな中でアメリカで生まれたウィザードリィはひっそりと日本に移植され、一人の青年の心を捉えた。 ゲームが好きだ、ゲームをやりたい、面白いゲームを作りたい。 バイクが趣味でちょっとつっぱっていたはずの若者は新しい文化、ゲームソフトの虜になり全てを奪われた。 とはいえ、ゲームを作りたくてもゲーム会社に入れるほど任天堂やセガの敷居は広くはない。 まして就職先にゲーム会社を選ぼうにも親の目や世間の目があるわけである。 そんな彼が卒業後に就職先に選んだのは、デザイン会社。 少しでもゲームと近づきたい気持ちを込めてグラフィックの世界に触れたいと選んだ道。 しかし、そんな鬱蒼とした気持ちを晴らすような出会いを青年はしてしまう。 現れたのは後のタムタムの社長、金尾敦氏。 全く別の仕事で知り合った二人はゲーム作りの話で意気投合し、そのまま金尾氏が勤務している会社へと招かれるよう に転職していった、 その人物こそがエルフ初代社長の蛭田昌人25歳。 若き野望を持った青年は、後に求人広告を出しまくりゲーム製作者を集めまくっていた悪名高いアイデス へと足を運ぶ。 何作かの手伝いをしたのちに任されたのがシナリオ執筆、しかも初の全編描き下ろしシナリオである。 当時話題になったポートピア連続殺人事件をモチーフにして書かれたこの作品は、エロシーンこそ照れがあった ために簡素だが、本格的な推理物と話題になりそこそこのヒット、後に3まで続編が作られる事になった。 蛭田氏はゲーム作りにやりがいを見せるが、そこは薄給と酷使で大変有名なアイデス先生。 会社は「ボディコンの女の子と一緒に働きませんか」等と求人広告を打ちまくり、スタッフは失踪しまくり、 給料は雀の涙で鳴かず飛ばずの結果を見せた。 リップスティックや殺しのドレスが評価されるのは、蛭田氏の在席していた期間より随分と後の話。 当時と言えばゲームはさっぱり売れないし、給料は安いし、評価はされないしというセツナサノカケラ状態であった。 そんな中、後のミンク社長阿比留氏と知り合い、三人は共謀して脱出計画を立てる。 手にしたゲームはドキドキ☆シャッターチャンス! リップスティックの制作現場でこっそりえっちなゲームを作り始めて、自社設立を企てた。 当時は有限会社キララだった開発現場で打ち立てられていく。 そんな彼らが古巣に手痛いしっぺ返しを食らうのは、わずか4年後の話だ。 |