今でいうインサイダーも
通貨を「何かを買う道具」だけではなく「投資の対象」としてもとらえる。その視点は富豪や起業のスタートアップとなる利益さえ生めるのである。通貨の取引で利益を得た歴史上の人物たちを紹介する。
三菱の創業者、岩崎弥太郎(1835−1885)が「通貨」を利用して巨利を得て事業の立ち上げを成功させたのをご存じだろうか。
彼が生きた幕末は各地の経済が混乱した時代。廃藩置県に向かう動きの中、旧藩が抱えていた巨額の「大名貸し」の債務は帳消し、大手の両替商の没落も相次ぐ。藩発行の地方通貨ともいうべき「藩札」の価値も軒並み暴落していた。
弥太郎が目を付けたのがこの藩札だった。まだ価値のある藩札もあったが、暴落で紙くず同然のものも多い。財政危機で何百万両分も発行していた藩もあり、それが無価値となると当然大損する人間も出る。
そんな中で弥太郎は各地で「藩札を買う」と請け合った。十万両ほど借金し新政府発行の「太政官札」を用意した。損失に腐っていた人々は大喜びである。反古紙同然だからお金になるだけでも良い。安値で買い占められていく。
もちろん商人の弥太郎の活動は慈善ではない。実は前もって「政府が買い上げて藩札の後始末をする」と情報を入手していたのだ。今でいうインサイダー取引だ。政府買い上げの実行で藩札は額面かそれに近い値を回復した。
「紙切れを買っている」と笑われた弥太郎の大勝利である。正確な額は分からないが莫大な利益を手中にし、一躍事業を飛躍させたのだ。
今のみずほ銀行につながる安田銀行、そして安田財閥の祖である安田善次郎(1831−1921)にも同じような話がある。
当時明治新政府は新紙幣の太政官札を乱発して信用不安を引き起こしていた。戦費や各種費用で無茶な濫発を繰り返し、西南戦争が勃発すると紙幣の価値は額面の四割ほどまでに落ちこんだ。ちまたでは太政官札での支払いが拒否され、両替商でも引き受けない店も出る。
しかし安田善次郎の見方は違った。旧幕時代にも江戸と地方の銅銭の価値差に気付くなど、投資センスがあった。「太政官札は政府保証の紙幣、世が落ち着けば価値も安定する」と読む。私財をはたいて太政官札を引き受けた。手放したがってる人は大勢いて額面の数割引きで可能だった。
戦争が終結すると紙幣の発行量も落ち着く。法律で太政官札と正貨の等価交換が義務付けられ、一躍不良債権は膨大な含み益を持つ優良資産に転じる。当時の金で一万両近くの利益が出て、本業の商売も軌道に乗ったのだった。
ヤップ島の車輪のような「石のお金」は有名だろう。現地に滞在した米国出身の実業家、デービッド・オキーフ(1824または28−1901)は偶然その石貨とコプラ油(椰子の実を原料とする油)が交換できることを知る。儀式的な習慣だったが、試しに石貨を作ると本当に油をもらえた。
オキーフは一度島を離れて工具や研磨機械を携えて戻る。文明の利器だから何倍もの速さで石貨を造ることができる。完成品をあちこちにもっていってはコプラ油を“買って”まわった。
天然で良質の椰子油だから世界各地で販売すると人気が出る。仕入れ値はほぼタダである。おかげで船員をやめて大金持ちとなれたという。
ブラジルで偽札騒動が起きた時の話だ。ニュースで「88年度製造の百ドル札は偽札ばかり」と報道され、全土で百ドル札が拒否されるようになる。本物でも拒否され海外からの滞在者が特に迷惑した。
そんな中ある両替店は「額面の20%引きなら引き受ける」と宣言、百ドル札をもてあましていた人々が殺到する。実はこの両替商は、他の国ではそこまで偽札ヒステリーは起きておらず、両替に応じるとの情報を入手していたのだ。割引で手に入れた百ドル札をもって隣国ウルグアイで両替に成功、差額で一財産を築けたという。(ZUU online 編集部)
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