2016-04-09

カネの限界

最近保育園に入れないと嘆いていた人間が、高収入であるという事実が発覚して荒れた。

何が何でも保育園に入れない人を擁護したい人は世間一般的高収入である額を普通と言ってみたりしている。

酷いものになると、普段は現政権批判している人間高収入人間優遇するのが現政権下の正義から正しいだとか貧乏人の僻みは良くないだとか呆れるようなウルトラ理論飛ばしてくる。

これらの状況がカネがないから起きた状態だとは思っていない。

そして、一概に経済格差だとは思わない。

オカネで解決できるものなら、こんなにも自分は救いがないと感じることはなかったのである

自分の家は父親が稼げる男であるから小金持ちである

しかし、少しも自分高収入人間保育園に入れないと騒いでいることに同情出来なかった。

それは結局のところ彼らが正しいわけではないからだろう。

自分努力したと勘違いしながら、高収入ポジション居座り続けているだけなのだ

ただ、運が良かっただけであるのに。

正しさもクソもなくて、彼らが「世間から好かれる属性である人間であることなだけなのだ

世間から好かれる属性というのは見た目と聞こえがいいことだ。

持病の治療でついたニキビ跡だらけの皮膚や形の悪いパーツやらの醜い容姿である自分努力をしても、「世間から好かれる属性である人間」になれない。

そこにカネの限界がある。

もし、カネだけで解決できるものなら前向きな話が多かったに決まっている。

容姿をカネで解決出来ないから自分保育園系の人のは苛立ちを感じたし理解できなかったのだろう。

整形もアテにならないが、やるだけやってみるのがいいのかもしれない。

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