最近、保育園に入れないと嘆いていた人間が、高収入であるという事実が発覚して荒れた。
何が何でも保育園に入れない人を擁護したい人は世間一般的に高収入である額を普通と言ってみたりしている。
酷いものになると、普段は現政権を批判している人間が高収入の人間を優遇するのが現政権下の正義だから正しいだとか貧乏人の僻みは良くないだとか呆れるようなウルトラ理論を飛ばしてくる。
そして、一概に経済格差だとは思わない。
オカネで解決できるものなら、こんなにも自分は救いがないと感じることはなかったのである。
しかし、少しも自分は高収入の人間が保育園に入れないと騒いでいることに同情出来なかった。
それは結局のところ彼らが正しいわけではないからだろう。
自分が努力したと勘違いしながら、高収入のポジションに居座り続けているだけなのだ。
ただ、運が良かっただけであるのに。
正しさもクソもなくて、彼らが「世間から好かれる属性である人間」であることなだけなのだ。
持病の治療でついたニキビ跡だらけの皮膚や形の悪いパーツやらの醜い容姿である自分は努力をしても、「世間から好かれる属性である人間」になれない。
そこにカネの限界がある。
もし、カネだけで解決できるものなら前向きな話が多かったに決まっている。
容姿をカネで解決出来ないから、自分は保育園系の人のは苛立ちを感じたし理解できなかったのだろう。
整形もアテにならないが、やるだけやってみるのがいいのかもしれない。