【動画】原発に真水輸送作戦 海自の「オペレーション・アクア」=海上自衛隊提供
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 原子炉を自力で冷やせなくなった原発へ、海上から真水を運んだ自衛隊員たちがいた。作戦名は「オペレーション・アクア」。見えない放射線への恐怖とどう向き合ったのか。東京電力福島第一原発の事故から5年。作戦に加わった3人が語った。

 ――東日本大震災の発生翌日の2011年3月12日に福島第一原発の1号機、14日に3号機で水素爆発が起きた。海水による冷却では塩の結晶ができるため、真水を入れた台船を海上自衛隊横須賀基地のタグボート2隻(YT79、YT68)が原発へ運ぶ作戦が24日、立案された――

 YT79の船長だった厚ケ瀬(あつがせ)義人・元1等海曹(57)=13年3月退職 テレビのニュースで爆発する様子を見て「大変なことが起きている」と感じていたが、まさか原発へ行くとは。上官から作戦を聞かされ、放射線対策としてYT79の窓を溶接するなどの準備に入った。家に帰る時間はなく、妻からは電話で「誇りを持って、無事に帰ってきて」と言われた。

 YT68の機関長だった鈴木俊之・2等海曹(46) ただ、任務を達成したいと思っていた。家族は笑顔で「気をつけて」と送り出してくれた。

 YT79の甲板員だった上原直哉・3等海曹(32) 千葉県内での給水支援中、上官から「原発に行ってもらう」と告げられた。普段から饒舌(じょうぜつ)でない上官がいつもより厳しい表情をしていた。簡単な仕事ではないことが分かった。

 厚ケ瀬元1曹 上原3曹以外、残りの人生が長い若い隊員ははずされた。結婚もしていないので。いつもの部下を船から下ろすのは苦渋の決断。2隻にそれぞれ4人と指揮官2人の計10人で原発に行くことになった。

 上原3曹 いつもは自然が相手だったが、原子力災害は自衛隊史上かつてない派遣。原発で何が起こっているかも分からない状態だった。放射線は「見えない敵」。正直、怖さはあったが、「いかにベストを尽くすか」ということだけを考えた。

■鳴り響く線量計、時間との戦い

 ――真水と台船2隻(容量約1300トン、1500トン)は米海軍から提供された。部隊は3月30日に小名浜港(福島県いわき市)を出発。翌31日~4月4日、タグボートのYT79とYT68に分乗し、原発の港内に台船を接岸・連結させたり、真水を補給したりした――

 厚ケ瀬元1曹 当時、天気は良く、海は穏やかだった。YT79を操縦していると、目張りをした窓の隙間から白い煙が立ち上る原子炉建屋が見えてきた。「放射性物質は大丈夫か」と感じた。

 上原3曹 私は全長が50メートルほどの台船上の真ん中にいた。原発に近づくにつれて放射線量が高くなり、前にいる隊員の線量計が「ピーッ」と鳴った。次に私、そして後ろにいた隊員も。「タッチ・アンド・ゴー。1分でも早く作業を終えなければ」と思った。