斎藤靖史
2016年4月9日20時43分
水俣病の認定患者で、熊本県水俣市の市立水俣病資料館の語り部、金子スミ子(かねこ・すみこ)さんが9日、肺炎による心不全のため、市内の療養施設で亡くなった。84歳だった。通夜は10日午後6時、葬儀は11日午前11時から水俣市港町3の1の29の斎場パールホールいけだで。喪主は長男親雄(ちかお)さん。
若くして夫を水俣病で亡くした。長男も認定患者で、次男は生後まもなく死去。三男の雄二さん(60)は胎児性水俣病で、研究の第一人者だった故原田正純医師と出会ったことが胎児性水俣病の存在を立証するきっかけとなった。
2002年からは水俣病資料館の語り部を務め、家族ぐるみで水俣病に苦しんだ体験を語ってきた。小児性・胎児性患者のための支援施設やグループホームの設立にも力を尽くした。同年と13年5月の慰霊式では患者・遺族代表として「祈りの言葉」を述べ、13年10月の「全国豊かな海づくり大会」では天皇、皇后両陛下と懇談した。近年は体調を崩して入退院を繰り返し、昨年2月から療養施設に入所していた。
患者の支援施設などを運営する社会福祉法人の代表理事、加藤タケ子さん(65)によると、金子さんは今月7日ごろから病状が急変し、意識がなくなった。雄二さんは連日施設を訪れ、手を握って声をかけていたという。
支援施設に通う小児性・胎児性の水俣病患者は十数人。本人の症状悪化が進む一方、介護してきた親たちが亡くなっている人も多い。加藤さんは、支援施設立ち上げに金子さんが尽力した経緯に触れ、「夫を亡くした苦しみの中、頑張ってくれた。60歳を超えた患者が生きていく道筋が決して荒れ野ではなくなった。母親の切なる願いを訴え続けてくれた」と語った。(斎藤靖史)
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朝日新聞社会部
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