2016-04-09 地方自治体の消滅こそ社会の進歩
総務省のデータにあるように、日本全体での「自治体の数」は明治以来ずっと減り続けています。
具体的にはこんな感じ↓
年月 | 西暦 | 市 | 町 | 村 | 計 | メモ |
---|---|---|---|---|---|---|
明治21年 | 1888 | 0 | 内訳略 | 内訳略 | 71,314 | - |
明治22年 | 1889 | 39 | 内訳略 | 内訳略 | 15,859 | ※1 市制町村制施行 |
大正11年 | 1922 | 91 | 1,242 | 10,982 | 12,315 | - |
昭和20年10月 | 1945 | 205 | 1,797 | 8,518 | 10,520 | (終戦) |
昭和22年 8月 | 1947 | 210 | 1,784 | 8,511 | 10,505 | 地方自治法施行 |
昭和28年10月 | 1953 | 286 | 1,966 | 7,616 | 9,868 | ※2 町村合併促進法施行 |
昭和31年 4月 | 1956 | 495 | 1,870 | 2,303 | 4,668 | 新市町村建設促進法施行 |
昭和31年 9月 | 1956 | 498 | 1,903 | 1,574 | 3,975 | 町村合併促進法失効 |
昭和36年 6月 | 1961 | 556 | 1,935 | 981 | 3,472 | - |
昭和37年10月 | 1962 | 558 | 1,982 | 913 | 3,453 | - |
昭和40年 4月 | 1965 | 560 | 2,005 | 827 | 3,392 | - |
昭和50年 4月 | 1975 | 643 | 1,974 | 640 | 3,257 | - |
昭和60年 4月 | 1985 | 651 | 2,001 | 601 | 3,253 | - |
平成 7年 4月 | 1995 | 663 | 1,994 | 577 | 3,234 | - |
平成11年 4月 | 1999 | 671 | 1,990 | 568 | 3,229 | - |
平成14年 4月 | 2002 | 675 | 1,981 | 562 | 3,218 | - |
平成16年 5月 | 2004 | 695 | 1,872 | 533 | 3,100 | ※3 |
平成17年 4月 | 2005 | 739 | 1,317 | 339 | 2,395 | 市町村の合併の特例等に関する法律施行 |
平成18年 3月 | 2006 | 777 | 846 | 198 | 1,821 | - |
平成22年 4月 | 2010 | 786 | 757 | 184 | 1,727 | - |
平成26年 4月 | 2014 | 790 | 745 | 183 | 1,718 | - |
江戸時代から続いていた村制度が近代的な市町村制度に整えられたのが明治 22年で、この時を境に 7万以上あった村は 1万 5千ほどの市町村へと大きく数を減らしています。
これが上表の※1 「明治の大合併」で、日本における近代的な地方自治制度の始まりです。
その前、江戸時代&明治初期にはなぜ 7万もの村(自治体)があったのか?
理由はふたつ。
1)当時の自治体(村)の存在理由が「農業共同体」であったこと
2)当時の移動手段が基本、徒歩であったこと
です。
すなわち、
1)なんのための自治体なのか? 自治体の存在意義は何か?
2)技術的な制約は何か? どんな技術が利用可能か?
の 2点で最適な自治体数は決まるのです。
江戸時代、そして明治時代まで、日本人の大半は農業に従事していたし、江戸時代なんて税金自体が米で納められていました。米=お金だったわけです。
この基幹産業=農業は、個人や一家族で行える産業ではありませんでした。
田んぼに引き込む水も分け合う必要があるし、田植えの時期、収穫の時期と、村全体で協力して農作業をするのが当然だった。
そのための協業単位が自治体=村だったのです。
しかも当時は自動車もないので、農民は毎日歩いて家から田畑に向かいます。
一緒に農作業をやるといっても、数十キロも離れた農家と共同作業をするのでは、行き帰りの移動だけでも無駄が大きい。
だから徒歩圏で集まれる範囲、一緒に農作業が出来る範囲に、ひとつの村が作られていたのです。
その結果が 7万個もの村の存在です。
★★★
しかし明治になって日本が近代国家を目指し始めると、先ほど上げた条件のひとつめ、すなわち「自治体の存在意義」が大きく変わります。
自治体の目的は、もはや「農業を共同で行うこと」ではなく、「教育、徴税、土木、救済、戸籍の事務処理など、近代国家として必要な行政上の管理をスムーズに行うこと」に変わったのです。
農作業を一緒にやるためなら、近隣の 10戸が集まってやればいいのでしょうが、基礎教育のために小学校を設置しようという話になれば、10戸でひとつの小学校を設置するなんてあり得ません。
土木工事をするにしても、小さな村ごとに計画を立てるのは無駄すぎます。
このため 7万あった自治体は、1.5万まで減少したのです。
その後も近代的な行政制度の全国への普及に伴い、自治体数は減り続けます。そして、昭和にかけ 1万弱となっていた自治体に次の大きな変化が起こったのは昭和 28年(※2)です。
この「昭和の合併」で 1万弱あった自治体の数は、一気に 4000近くまで減らされます。
なぜかって?
戦後復興の中で日本は順調に近代国家として発展を遂げ、自治体が担う機能が明治・大正時代に比べても、更に大きく拡大したからです。
教育だって、尋常小学校だけでなく女学校や中学、高校も必要となれば、当然、より広い行政単位でひとつの学校を設置、という話になってきます。
他にも、総合病院を作ろう、消防署や警察署を作ろう、社会福祉や保健衛生関係の施設も作り鉄道や道路も整備しよう、と、住民の生活を支えるための高度な行政目的が次々と現れます。
またこの頃になれば、少なくとも行政機能を担う人は自動車が使えるようになってきます。電話も登場する。
このため自治体の範囲が少々拡がっても、問題無く行政管理ができるようになってきました。
だから「町村はおおむね、8000人以上の住民を有するのを標準とす」と定める町村合併促進法が施行され、「昭和の大合併」が起こって、市町村数は 3分の 1にまで減らされたのです。
最初にあげた「自治体数を決めるふたつの理由」である、「自治体の目的の変化」+「技術の進歩」によって、自治体数がどんどん減少していく様子がわかりますよね。
こうして日本は、世界でもトップクラスの高度な行政機能を提供できる近代国家へと変貌を遂げたのです。
★★★
次に自治体数の大幅削減が起こったのは 2000年に入ってから、※3の「平成の大合併」が起こった時で、平成16年に 3000を超えていた自治体数は今や 1700程度にまで減少しています。
この時の特徴は、町の数が約 1800から 700に、村の数も約 500以上から 180へと半減した一方、それらが統合して新しい市が作られ、市の数が増えたことです。
これは人口の少ない町や村では高齢化や少子化が進み、もはや単独では、住民に充実したサービスが提供できなくなってきたからです。
さらに二番目の理由も大きかった。今、自動車や電話を使えるのは行政側の人だけではありません。住民側も自家用車を持ち、もしくは公共交通機関で移動でき、個々人が電話を持っています。
便利な技術製品の普及によって管理可能範囲が大きく拡がり、行政単位を拡大しても住民サービスが提供できるようになってきたのです。
このように、自治体の数は社会の変化に応じた「自治体の存在意義」と「利用可能な技術のレベル」によって最適数が変化します。
すなわち、「自治体の消滅」=「社会の進歩」なのです。
そしてこのスピードは今後さらに高まろうとしています。
人口減少を補うため、海外からのアクセスをよくして観光客を呼び込もうと思えば、更に広域に、飛行機ネットワークやバスネットワーク、観光資源を整備する必要がでてくるし、大型の災害に対応するにも、広域での行政協力が不可欠です。
加えて技術側の進歩も大きくなりました。
行政担当者や住民が自動車で移動しなくても、今やネットワークカメラを設置すればインターネット経由で個々の家の状況まで把握できるし、一人暮らしの高齢者にタブレットを配布すれば、毎日の安否確認も格安に実現できます。
教育だってリアルな学校をあちこちに設置しなくても、スクリーニングの日以外は、自宅でネット経由で勉強させることさえ可能になりました。
医療についても遠隔医療の手法がどんどん開発されています。
このまま技術が進めば、今 1700あまり在る自治体の最適数は、更に半減するでしょう。
つまり、今ある自治体の半分は消滅するのです。
それが!
社会の進歩なのです。
繰り返しておきましょう。
明治の初期に日本に 7万あった自治体の数は、今や 1700あまりとなっています。
「自治体の存在意義」が、農業共同体の維持から、近代国家の土台作り、先進国レベルの行政実現へと変遷し、
「利用可能な技術のレベル」が、人力だけの時代から、動力(電車、自動車など)や通信(電話)が利用できる社会へと変わってきたからです。
今後も日本が更に高度な国家を目指すと同時に、新たに登場したモバイルインターネットや人工知能などの先端技術を積極的に活用すれば、最適な自治体数はさらに減っていきます。
世の中には「自治体が消滅する!」と大騒ぎするトンチンカンなメディアも多数ありますが、良い子の皆さんはよく理解しておきましょう。
「自治体の消滅」とは「社会の進歩」なのだということを。
もちろん、市長や市会議員が「自治体の消滅に反対」するのはよくわかります。自分の職場が無くなることを手放しで喜ぶ人はいないですから。
たとえ社会の進歩が遅れても、オレの会社が無くなるのは困る! 失業したくない! と思うのは人間の自然な気持ちでしょう。
でも自治体が減って失業するのは市長と地方議員だけです。
市役所の人は(新技術の導入に伴い)新しい仕事を覚える必要はありますが、数が減る必然性はありません。
そしてもちろん、住民にはなんの損もありません。自治体の数が減るのは、住民にとって「より充実した行政サービスが受けられるようになる」ことを意味するのですから。
それと、「地方を再生させる」のも「地方を元気にする」のは問題ありません。どんどん進めてください。
しかし少なくとも「自治体の数はどんどん減らす!」というのが、イコール「社会の進歩」なのだという本質だけは、忘れないでください。
明治の初め、サムライの時代に存在していた 7万もの自治体を 100年かけて 1700にまで減らしてきた。この過程こそが、近代国家たる日本の、発展の軌跡なのです。
ビバ!
自治体消滅!!
そんじゃーね