2016-04-09

やらないといけなくなると、やる気が消滅する

事務の人「すみません、この書類ハンコ押して名前書いて提出してください」

ぼく「りょうかいです。家にハンコあるので今度持ってきます

(1週間後)

事務の人「すみません。あの書類まだですかね」

ぼく「あ、すみません忘れてました」

事務の人「よろしくおねがいしますね」

(1週間後)

事務の人「すみません……書類…」

ぼく「すみません!」

(1週間後)

事務の人「書類は…」

ぼく「わすれてました!」

事務の人「書類の提出期限があって、明日までなのでお願いします」

ぼく「りょうかいです!」

(次の日)

事務の人「書類どうですか?」

ぼく「とりあえずハンコを持ってきました!」

事務の人「書いてください」

ぼく「はい

ぼく「かきました!」

事務の人「すみません…ココとココとココが抜けてます…」

ぼく「ほんとうだ」

事務の人「だいじょうぶです。次から気をつけてほしいです」

ぼく「わかりました!」

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こういうことが多すぎる

宿題みたいなことを課されると途端にやりたくなくなる。

でも自分から「これやってきます」って言うやつはすぐにやってくる。

やらないといけないことでも、楽しいことは割とやる。

たとえば、最近仕事自分で全部コントロールできるようになってるので楽しい

仕事はやらなければいけないことなんだけど、その中で、プチやりたいことをプチプチやってるので楽しい

書類系は一番ダルいのでものすごくやらない。楽しくない。ダルい。簡単だけどめんどくさい。

「やらないと困る」系はやらないことが多い。

特に「やらないと『自分以外の誰かが』困る」ことは、やるやる言っといて最終的にもやらないことが多い。もうほんと最悪かよと言われる。

でも、割とそれでなんとかなる。なんとかしてくれてるっぽい。ありがたい。事務の人ありがとう

ちなみにこれの解決策として「書類を早めに書いたら500円もらえるとかどうですか」と提案したけど、お前は何を言っているんだという表情を伴って、敢えなく却下された。

なんとかなる事例としては、

たとえば、彼女からの「遅刻しないで!」はやがて「遅刻されるのが普通から、定刻に来ると驚く」に変わったりする。

遅刻するのが申し訳ない」と思う段階はとうに過ぎてしまった。

「ぼくは遅刻するよ」という感じ。

遅刻マイナス分は他の何かで取り返す! 人間誰しも欠点があるのです」という感じ。

たとえば、「電話に出る」もそう。着信音が鳴ると最高に不快な気分になる。不愉快まりない。

着信音は、「出なければいけない」というメッセージを強烈に発しているようで、「うるせー!俺は出ないぞ!!!!!!」という気分にさせる。

いつどんなとき、どこで誰からどうかかってきても、嫌悪感しかない。

でもいきなり電話をかけるのは好き。これについては「お前の性格はめちゃくちゃだ」と人に言われる。

これは他人思考を「どうやら電話してもこの人は出ないからメールしよう」という方向に持っていくようだ。だから基本的電話緊急時しか鳴らない。

ちなみにメールもあまり見ない。重要なら何度も送ってきてね。

「やらないといけない」っていう感覚って、メンヘラに「どうして○○してくれないの!」って言われてる感覚に近い。

茶碗洗いとか洗濯とか、無理。家事は壊滅的に無理。でもやると割とテキパキ動ける。最近彼女が全部やってくれてる。ありがたい。彼女ありがとう

ぼくの育った家庭環境のせいもあると思うけど、どうも「やらないといけないこと=誰かから強制命令」みたいな感じで、責められてる感があって、

そしてそれに反逆したくなる。ひどいツンデレ天邪鬼状態だ。ひょっとしてソシオパスサイコパスなんじゃないかなとも思ってる。

そんで、まあ別にその、相手が困る系のやつは全然これっぽっちも直す気がなくて、そのへんを誰からどう悪し様に言われたとしても気にするつもりはないのだけど、

問題は「自分にとってもメリットがある、やらなければいけないことで、且つやりたくないこと。かなり」をやれないという由々しき事態だ。

やらないと困るのは自分なんだけど、まあやりたくない。

死ぬほどやりたくない。それが長期的に見るとメリットだったとしても。

特に課題を人から渡された場合。とりあえず思考の先頭に来るのはいつも「いやだー!!」だ。

これはもう仕方がない。だってそれがその事象についてのぼくの見解だ。ぼくの人生経験が、全力で「これは嫌だ」と信号を発しているのだから仕方がない。

これはもうぼくがぼくでなくなる以外に解決方法はない。

しかも「嫌なものをやらない!」というのはとっても清々しい。ぼくがぼくである所以というように感じれるほど清々しい。

いちばんなのは自由じゃないから」だと思ってる。

子どもときからずーーーっとそうで、宿題をしたことなんて心を入れ替えようとした数回程度(いずれも1日で諦める)しかないので、

「直した方がいいのかな」と思うときもあるけど、そんなもんよりかは「別にさなくてもいいかな。めんどっちいし」という思いの方が断然強いし何度も思う。

すでに「ぼくが直すっておかしくね? おまえらが直せ」というステージに達しているようにも思う。

それでちょっと迷ってるんだけど、

このただでさえ常軌を逸した「やりたくなさ」を更に昇華させて、

もはやハッピーなことだけやって「うぇええええい!ひゃっほおおおおーい!ハピネス謳歌いぇえええい」って突き抜けたほうがいいのか、

「やりたくないこともまぁメリットあることはやった方がいいよね、人生には我慢も必要だし。よくわかんないけど」と一歩引いて考えるのも少しは持っていたほうがいいのかで、どうしようかなと思ってる。

お暇な方は何か意見いただけるとうれしいかもしれないです。たぶんあんまり聞かないけど。

追記:

http://anond.hatelabo.jp/20160409090645

ADHDじゃね

確かにそうかもしれないと思いました。

ADHD侮蔑表現としての意味が強すぎて、気が付いていませんでした。

ただ『ADHDを直して正常になる』というつもりもないので、症状を調べて自己分析改善してみようかなと思います

http://anond.hatelabo.jp/20160409092032

ToDoリスト

ありがとうございます

ToDoリスト管理ツールとしては大変有用だと思っていて普段も使っています

でもまぁ結局、マズイ米にふりかけをかけて食べるようなやり方なので、できれば食べたくないですね……

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