宇宙航空研究開発機構(JAXA)は4月8日、通信途絶中のX線天文衛星「ひとみ」についての最新状況を発表した。依然として通信は回復しておらず、異常の原因も不明だが、JAXAは姿勢制御系のトラブルの可能性を重視している模様だ。
「ひとみ」本体は5.2秒周期で回転
これまでの地上からの観測で、当初「ひとみ」だと考えられていた物体ではなく、もう1つの物体が「ひとみ」本体である可能性が高まった。日本宇宙フォーラム・日本スペースガード協会による23回の観測で軌道を確定しており、国立天文台の「すばる望遠鏡」による観測にも成功している。「すばる望遠鏡」では衛星の形状をはっきりと撮影することはできないものの、物体が小さな破片ではなく、数m以上の大きさと見て取れる。これらのことからこの物体が「ひとみ」本体であると判断した模様だ。
また、東京大学天文学教育センター木曽観測所の観測により、3月31日時点での「ひとみ」の回転は5.22秒に1回と推定された。これは、光の強さが5.22秒ごとに、同じようなパターンで変化していることからの判断だ。
姿勢制御系のトラブルの可能性を重視
JAXAは現時点で原因を特定していないものの、姿勢制御系のトラブルの可能性を第一に説明している。これは、5秒に1回転という回転速度が、他の理由では説明しにくいからだ。「ひとみ」に搭載されているヘリウムガスやヒドラジンなどのガスや液体が漏れたとしても、小さな力しか出ない。バッテリーの爆発でもこれほどの回転になるとは考えにくい。だとすると、「ひとみ」の向きを変える姿勢制御系に何らかの問題が起き、自分で回転を始めてしまった可能性が高いということだ。
「ひとみ」の向きを変える装置は3つある。内部の「コマ」に似た物を回転させてその反動で向きを変えるのが「リアクションホイール」だが、この装置ではそれほど速く向きを変えられない。地磁気を使って向きを変える「磁気トルカ」も力が弱く、「リアクションホイール」の補助として使われる程度。このため、JAXAは姿勢制御用の小型のロケットエンジン、「スラスター」が予定外の噴射をした可能性を挙げている。
とはいえ、スラスターが推進力を発揮しなければ回転しないので、スラスターそのものの異常というよりはスラスターを誤作動させた可能性が高い。「ひとみ」の現在の姿勢を知るためのセンサー、それをもとにスラスターに噴射の指示を出すコンピューター、あるいはそのソフトウェアなどだ。ただ、具体的にどれかが異常だったことを示すデータはない。
現在わかっているシナリオ1:姿勢異常が発生
ここからは、現在判明している情報から「ひとみ」に何が起きたのかを、時間を追って確認してみよう。
3月26日3時1分。「ひとみ」はX線望遠鏡をそれまでの「かに星雲」から「活動銀河核」へ向けるため、衛星全体の向きを変える姿勢制御を開始した。この際に使われたのはリアクションホイールで、向きを変える速度はゆっくりしたものだ。
3時13分、「ひとみ」は鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所の上空から抜け、内之浦のパラボラアンテナへのデータ送信を終了した。この時点までのデータで「ひとみ」の異常は確認されていない。姿勢制御は3時22分まで続いたが、これは正常に終了したとみられる。
4時10分頃、「ひとみ」は何らかの理由で姿勢を乱した(回転を始めた)とみられる。この時点では「ひとみ」はどことも通信をしていないため、何が起きたかは不明だ。
現在わかっているシナリオ2:太陽電池が電力低下
5時49分、「ひとみ」はJAXAのアンテナがあるスペインのマスプロマス上空に差し掛かり、データを送信した。このとき、「ひとみ」は太陽電池を太陽に正しく向けておらず、電力が低下していた。ただ、マスプロマスでは「ひとみ」の軌道を測定するのが目的で、データは記録するだけだったため、JAXAは問題に気付かなかった。
このあと7時31分にマスプロマス、9時52分にはオーストラリアのミンゲニュー上空を通過したが、データは同様だった。ミンゲニューでは太陽電池の電力がさらに低下し、バッテリーを使用している状態だった。
この間、「ひとみ」の姿勢制御がどうなっていたかは不明だが、スラスターは動作していないようだという。太陽電池が太陽を向かない程度には姿勢が乱れたものの、あまり速く回転していなかったとみられる。
現在わかっているシナリオ3:「ひとみ」の一部が分解
10時4分にミンゲニューへのデータ送信を終えた「ひとみ」は、10時31分から10時53分の間のどこかの時間でブレークアップ(一部の部品が分解し分離)したと考えられる。
分解の原因は不明だが、先に述べたように姿勢制御系のトラブルで急速に回転したとすれば、この頃に起きたことになる。本来、「ひとみ」に最も強い力が加わるのはロケットで打ち上げるときの振動なので、それに耐えられるように「ひとみ」は設計されている。JAXAによれば、「ひとみ」は3秒に1回程度の速さで回転すると、太陽電池の先端部分や後部の伸展マストが破損する可能性があるという。
16時40分、ミンゲニュー上空を通過する「ひとみ」から地上へ、電波が送られてこなかったことから、JAXAは異常を把握した。
その後、26日深夜から27日にかけては1回につき数分間、28日は数秒間の電波を発信したが、弱くてデータを読み取ることはできなかった。そして29日以降、通信は途絶えたままだ。
「ひとみ」復活へ長期戦のJAXA、「絶対にあきらめるな」
ここまでの情報から、トラブルは大きく分けて2段階で起きたと考えられる。ひとつめは3月26日4時10分頃に起きた、姿勢の異常。そして、10時42分前後に起きたブレークアップだ。衛星が突如爆発してバラバラになったとか、大きなデブリが衝突して粉砕されたといった単純なトラブルではないことがわかる。
JAXAではこれまでの経緯から、「ひとみ」の太陽電池の一部や伸展マストが破損している可能性が高いものの、衛星本体部分は大きく壊れておらず、太陽電池の一部やバッテリーなどが健在の可能が高いと考えている。そうであれば、今後太陽電池に太陽光が当たるようになれば通信が回復するだろう。
かつて小惑星探査機「はやぶさ」も姿勢が乱れて回転する状態になり、太陽電池に太陽光が当たらなくなって通信途絶した状態が1か月以上続いた。しかし、回転が自然に収束することで姿勢が安定し、通信が回復している。「ひとみ」もこれと同じように回転が収束し、通信が回復するのを待っている状態だ。
もし通信が回復して原因が判明し、姿勢制御系を正しく作動させることができれば、「ひとみ」の観測を再開できるかもしれない。太陽電池は全部で6枚あり、一部は脱落している可能性が高いが、3枚残っていれば限定的な観測は可能だという。また、長く突き出した伸展マストに取り付けられた硬X線撮像検出器は使えなくなっている可能性が高いが、他の観測機器は衛星本体に内蔵されているため、健在の可能性もある。「ひとみ」と同等のX線天文衛星は世界的にも他になく、近年中に計画もないため、たとえ一部であっても観測できればその価値は大きい。
現在、JAXAでは「ひとみ」の地上からの観測を続け、状態をさぐると同時に、「ひとみ」の回転が自然に収束して通信が復旧するのを待っている。通信が回復するまでは「ひとみ」を操作したりデータをダウンロードすることができないが、いつ回復するかはわからないため、一日も早く電波が受信できることを祈るしかない状況だ。
決して楽観視できない「ひとみ」の状況だが、JAXAは長期戦の構えだ。先日、復活したばかりの金星探査機「あかつき」の中村正人プロジェクトマネージャーからも、「絶対にあきらめるな」とエールを送られたばかりだ。