国内の違法カジノ店で賭博行為をしていたという事で、メダルが有力視されていたバドミントン男子の桃田賢斗選手と田児賢一選手が謝罪会見を行った。
この一連の騒動で、自分がいちばん気になったのは「やっぱり」という文言だ。
どういうことか説明しよう。
まず、この問題が明らかになったその日、日本バドミントン協会の専務理事である銭谷欽治氏はこうコメントした。
「やっぱり、一般常識というか、そういうところの指導が行き届いていなかったと思っています」
また、昨日記者会見した桃田・田児選手の記者会見では、田児選手がこうコメントしていた。
「自分はやっぱりスポーツ選手なので勝負事というか、ギャンブルが好きで…」
これ、なんかおかしくないか?
「やっぱり」という言葉を使うということは、「元来そういうものだ(と思っていた)」という意味を含んでいる。この会見だと、「やっぱりスポーツ選手は一般常識に欠けている」「やっぱりスポーツ選手はギャンブルが好き」という印象を持たざるをえない。
だが、それは他のスポーツ選手に対して失礼なのではないだろうか。
スポーツ選手だからってギャンブルが好きとは限らない。たしかに、勝負事にこだわる人は多いかもしれないが、その矛先がギャンブルに向かうとは限らないのだ。
銭谷欽治専務理事は、バドミントンをメジャーにするために尽力してきた人と聞いている。だが、その彼からでさえ「やっぱり」という言葉が出てしまう。これが、「彼らは実力先行で社会常識は二の次だった」と前々から考えていた本音を表しているのだろう。
日本において、賭博は違法である。違法であるとわかっていながら2人の選手は賭博に手を染めた。「スリルを味わっていたのかもしれない」とさえ言っている。
スポーツ選手は、ただのプレーヤーではない。トップ選手ともなれば、国の期待はどうでもいいとして、彼ら彼女らに憧れる子供たちの目標ともなる。将来の夢を担う重要な人間足りえるのだ。
桃田選手はかつて語っている。
「自分がいい服を着て、いい車に乗り、いい家に住む事によって、バドミントン選手を目指す人、子供たちに夢を与えたい」
今回の出来事は、それら全てを自ら踏みにじる行為だ。
聞けば、彼らが所属しているNTT東日本では真球合わせて6人の選手が、同じような賭博行為に関わっていたのだという。蔓延しているのだ。
ここ最近、野球賭博の問題も大きくクローズアップされている。
NPBは「一定の期間内に申告してきた選手には処分の軽減処置をとる」と、いわば自己深刻キャンペーンを敷いている。そういう問題か? 日本において賭博は違法なのだ。犯罪なのだ。それを、自首したから選手としての処分は軽くするよ〜などという、いわば人参をぶら下げて炙りだすのが最善の解決法なのだろうか?
冒頭に話に戻るが、「やっぱり」という言葉が会見で再三再四使われたのは非常に残念であり、スポーツを汚す行為だと思っている。
なんで「やっぱり」なの?
どうして「スポーツ選手だからギャンブルが好き」という論に持って行こうとするの?
「自分がギャンブルの誘惑に勝てなかった。精神的に未熟だった」で良いじゃないか。なのに、他の競技の選手も巻き込むような言い回しはしないで欲しかった。
今回の件で、日本バドミントン協会が両選手、特にメダルが有力視されていた桃田選手に下す処分には大きな意味がある。万が一にも無いと思うが、選手が反省しているからリオに派遣しますとなった場合、メディアは美談に仕立てあげる可能性が高い。
それだけはあってはならない。
だって、賭博は違法なんだから。