いつだったか、いわゆる「ネットビジネス」をしていることがとても自慢の稼ぐ系の男の子たちがこんなことを言っていました。
「ネットビジネスは法律さえ守っていれば何をやってもいい!」
いわゆる「ネットビジネス」の男の子たちの大半は法令遵守意識が極めて希薄で、お隣の経済大国レベルです。
著作権法などどこ吹く風。景品表示法に至ってはその存在すら知らない子がほぼすべてと言っても過言ではありません。(もっとも私と同年代のおぢさんですら知らない御仁を時折みかけます)
我が国が法治国家だと理解出来ていない子たち(及び、おぢさん)に比べれば「法律を守る」と言っているだけマシとも言えますが、それはちょっと違うだろうと思わずにはいられませんでした。
しかし「ちょっと違う」とは何が違うのか?ここを明確に言語化出来なければ親父の繰り言になりかねない。
そのため、私は男の子たちへの反論を断念しましたが、「ちょっと違う」を言語化する言葉をついに見つけたのでシェアしたいと思います。
「清規(せいき)」と「陋規(ろうき)」
恥ずかしながらこの年になって始めて知りましたが、「清規(せいき)」と「陋規(ろうき)」という言葉があるのだそうです。
「清規(せいき)」とは、表向きの道徳を指す言葉です。
表向きの道徳とは、喧嘩をするな、親孝行しよう、等々。旧日本船舶振興会(古!)のテレビコマーシャルでしきりに喧伝されていた美徳の数々です。
明文化された法律もこの「清規(せいき)」に該当します。
一方の陋規(ろうき)とは裏社会の道徳や明文化されていない慣習を指す言葉です。
逆説的でちょっとばかり魅惑的な響きもあるこの陋規(ろうき)=裏社会の道徳では、喧嘩をするなとは言いません。
喧嘩をするなら素手でやれ、一対一でやれ、などの喧嘩のルール。これが裏社会の道徳です。
昔の反社会勢力の方々が「カタギに手を出さない」ことをステイタスとしていたのも、この陋規(ろうき)=裏社会の道徳によるものです。
ビジネスの分野で、法的拘束力はないものの「商慣習」と呼ばれる暗黙のルールも陋規(ろうき)の一種と言えます。
いわゆる「ネットビジネス」の男の子たちの危うさとは
さて、話しをいわゆる「ネットビジネス」の男の子たちに戻します。
彼らが言う「ネットビジネスは法律さえ守っていれば何をやってもいい!」の「法律」に該当する部分が「清規(せいき)」すなわち明文化された法律です。
彼らはそれ=清規(せいき)は守ると言っている。しかし、彼らには陋規(ろうき)がない。
「ネットビジネスは法律さえ守っていれば何をやってもいい!」のちょっと違うぞ感は、この陋規(ろうき)の欠落に起因するようです。
安岡正篤氏は、清規(せいき)という上層建築は修繕可能だが、陋規(ろうき)という土台が崩れてしまったら修繕しようにも出来ないという意味の言葉を残しています。
いわゆる「ネットビジネス」で稼ぐことがとても自慢の男の子たちの危うさの原因は、こんなところにあるのかも知れませんね。
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