RPGが退屈になってしまった理由 其の1
2011年11月3日 ゲーム論この文章は以前のブログに掲載していたものです。
こちらで続きを書くために、若干の加筆訂正を加えてサルベージしました。
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ここ数年で電源ゲーム、とりわけRPGに対する考え方が根本から変わってしまい、その変わり様に自分でも驚いている。古くはファミコン時代から20余年延々と遊び続けてきたこのジャンルだが、現在では面白みの薄い、退屈なゲームという印象があまりにも強くなってしまった。
興味深い変化だと思う。何故私の関心が薄れてしまったのか。この変化を掘り下げる事で、何を以って面白いと感じるのか、何を以って退屈と感じるのか、ゲームの面白さを考察する糧になるのではないだろうか。そう考えたので文章にしてまとめる事にする。
まず、何故RPGが退屈なものに成り下がってしまったのかを考えるにあたって、そもそもRPGとはどういうものかの確認から始めようと思う。
RPGを名乗るにあたり外せない属性として2つの要素を挙げたい。第1に物語性、第2にキャラクターの成長だ。
多くの場合RPGでは、主人公とその仲間達を操作し彼らの能力を強化しながら、あるときは世界を救い、またあるときは様々な謎を解き明かしたりしてやがて大団円に至る。wizardryの時代から疑われる事なく連綿と受け継がれてきた形態だが、実はこの2つの要素、RPGというジャンルと非常に相性が悪い。
プレイヤーの操作をまったく受け付けないまま物語が進行する、いわゆる強制イベント。アレに辟易した覚えは無いだろうか?初回プレイ時ならともかく、内容を知ってしまっている2ndプレイの際には、キャラクター達の小芝居が酷く冗長に感じてしまうものだ。先日FF9のOPイベントを数年ぶりに目にしたのだが、初めからプレイする度にこれを見せられるのか、と辟易した覚えがある。どんなに出来が良いムービーだろうと、どんなに優れた台詞回しだろうと、2度目になればもう沢山だ。3週目にはもはや有害ですらある。
極論、物語性は繰り返しのプレイを阻害するものなのである。バルマムッサの民間人を手にかける事に躊躇いを感じるせいぜい3回までだろう。カインが2週目でも我々を裏切ろうとも、我々はそれに2度驚く事は無いのだ。
ではRPGとはただの一度だけクリアされる事を前提に作られているのだろうか?無論そんな事は有り得ない。ゲームの寿命が早ければ、それだけ中古市場に出回る割合が高くなる。十分な数が中古市場に供給されればその後新品が売れる事は無くなり、メーカーにとって「死んだ」商品となってしまう。
またユーザーとしても、数千円の娯楽を半月やそこらで陳腐化させてしまうのは費用対効果が悪すぎる。複数回のプレイに耐えられないゲームなど誰の得にもならないコンテンツなのだ。
メーカーはこの問題に対し、シナリオを複数用意するという方法で対応する事が多い。一度見たイベントをもう一度行うのでなく、2週目、3週目には先の周回と違ったイベントを見せる事で、プレイヤーの関心を引き続ける。あるいは1週ではとても遊びつくせない量のイベントを用意する事で、複数回プレイのモチベーションを維持するのだ。
しかしこの手法はゲームを延命させるという意味では役に立つが、根本的な解決にはならない。(詳しくは第3回で)
続きます
こちらで続きを書くために、若干の加筆訂正を加えてサルベージしました。
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ここ数年で電源ゲーム、とりわけRPGに対する考え方が根本から変わってしまい、その変わり様に自分でも驚いている。古くはファミコン時代から20余年延々と遊び続けてきたこのジャンルだが、現在では面白みの薄い、退屈なゲームという印象があまりにも強くなってしまった。
興味深い変化だと思う。何故私の関心が薄れてしまったのか。この変化を掘り下げる事で、何を以って面白いと感じるのか、何を以って退屈と感じるのか、ゲームの面白さを考察する糧になるのではないだろうか。そう考えたので文章にしてまとめる事にする。
まず、何故RPGが退屈なものに成り下がってしまったのかを考えるにあたって、そもそもRPGとはどういうものかの確認から始めようと思う。
RPGを名乗るにあたり外せない属性として2つの要素を挙げたい。第1に物語性、第2にキャラクターの成長だ。
多くの場合RPGでは、主人公とその仲間達を操作し彼らの能力を強化しながら、あるときは世界を救い、またあるときは様々な謎を解き明かしたりしてやがて大団円に至る。wizardryの時代から疑われる事なく連綿と受け継がれてきた形態だが、実はこの2つの要素、RPGというジャンルと非常に相性が悪い。
プレイヤーの操作をまったく受け付けないまま物語が進行する、いわゆる強制イベント。アレに辟易した覚えは無いだろうか?初回プレイ時ならともかく、内容を知ってしまっている2ndプレイの際には、キャラクター達の小芝居が酷く冗長に感じてしまうものだ。先日FF9のOPイベントを数年ぶりに目にしたのだが、初めからプレイする度にこれを見せられるのか、と辟易した覚えがある。どんなに出来が良いムービーだろうと、どんなに優れた台詞回しだろうと、2度目になればもう沢山だ。3週目にはもはや有害ですらある。
極論、物語性は繰り返しのプレイを阻害するものなのである。バルマムッサの民間人を手にかける事に躊躇いを感じるせいぜい3回までだろう。カインが2週目でも我々を裏切ろうとも、我々はそれに2度驚く事は無いのだ。
ではRPGとはただの一度だけクリアされる事を前提に作られているのだろうか?無論そんな事は有り得ない。ゲームの寿命が早ければ、それだけ中古市場に出回る割合が高くなる。十分な数が中古市場に供給されればその後新品が売れる事は無くなり、メーカーにとって「死んだ」商品となってしまう。
またユーザーとしても、数千円の娯楽を半月やそこらで陳腐化させてしまうのは費用対効果が悪すぎる。複数回のプレイに耐えられないゲームなど誰の得にもならないコンテンツなのだ。
メーカーはこの問題に対し、シナリオを複数用意するという方法で対応する事が多い。一度見たイベントをもう一度行うのでなく、2週目、3週目には先の周回と違ったイベントを見せる事で、プレイヤーの関心を引き続ける。あるいは1週ではとても遊びつくせない量のイベントを用意する事で、複数回プレイのモチベーションを維持するのだ。
しかしこの手法はゲームを延命させるという意味では役に立つが、根本的な解決にはならない。(詳しくは第3回で)
続きます
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