作家たちは「3.11」をどう描いてきたのか 〜「震災後文学」最新作を一挙紹介!多和田葉子、桐野夏生、天童荒太…

2016年03月04日(金) 木村朗子

木村朗子賢者の知恵

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放射能をいかに小説で描くのか

震災後の日本社会について、まったく異なるアプローチで迫ったユニークな小説として、吉村萬壱『ボラード病』(文藝春秋2014)がある。震災後、社会は右傾化し、あらゆる局面で同調圧力が働いた。そうした人々の感情の動きそのものを取り出して描いたのがこの作品である。

震災にまつわることは何一つ語られていないが、舞台となる海塚市はかつての被災地、しかもどうやら汚染された土地なのである。そこに住人たちが戻ったのは、日本中どこへいっても同じだから。とすると、国中が汚染されているらしい。

ほとんどの子どもたちは病に侵されている。汚染食品を食べ続けるうさぎには前肢がない。震災後の日本に暮らす者なら、はっきりと書かれていなくても、この汚染はおそらく放射能のせいだろうと想像するはずだ。海塚市は汚染をひた隠し、人々に「同調」を強要する。

そんな物語を小学生の手記というかたちではこび、最後のどんでん返しで鮮やかに明かす。巧みな物語構成のなかに薄気味悪い現実を浮かび上がらせる、目の覚めるような小説である。

垣谷美雨『避難所』(新潮社2014)

震災直後の避難所が主な舞台。あのとき、多くの被災者が体育館に詰め込まれ、寝食をともにした。わずかな食材をわけあう、控えめで辛抱強い人々の態度は世界中に報道されて称賛されたが、その陰には、我慢に我慢を重ねていた人たちもいた。

せまい体育館のなかはまるで社会の縮図だ。男性中心の家父長的社会がそのまま凝縮される。そこで忍耐するのは女たちだ。この小説ではそうした社会に否といい、逃げ出した女たちを描く。方々で起こったとりとめのない出来事をかたちにするフィクションの力を感じる。

金原ひとみ『持たざる者』(集英社2015)

福島第一原子力発電所の事故は、住み慣れた土地から人々を強制的に退去させ、広大な帰還困難区域を生じさせた。同時に放射性物質という、被害の見えにくい公害によって、多くの自主避難者も出した。

自主避難者というのはとかく立場が悪く、十全な補償が得られない上に、しなくてもいい避難をしているのではないかという不安のなかで自問自答を繰り返しながら暮らさねばならない。母子避難した人も多かったから、結果的に夫と別居の末、離婚にいたるケースもあったという。そうした自主避難、母子避難の問題を描いた作品である。

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