FF5とDQ6。日本を代表するシリーズで、クラスチェンジを売りにしたという共通点を持つRPGだ。しかしFF5がシリーズでも屈指の評価を受けているのに対し、DQ6の転職システムは失敗作だと言われている。果たして両者の明暗を分けたのは如何なる点であろうか。今日はそれについて考えてみよう。


どちらの作品も、キャラクターを特定のクラスに就かせ、戦闘によってクラスレベルを上げて新しい能力を獲得していく、という基本システムに差異は無い。両者のシステムの大きな違いは、クラスチェンジ直後に出来る仕事の量だ。

FF5の場合。例えばバッツにアレイズを修得させたいと思ったとする。必要な行動は、店でアレイズを購入し、白魔導師にジョブチェンジさせる。これだけだ。魔法の購入さえ都合が付けば思い立った瞬間に実行する事が出来るだろう。

一方DQ6で主人公にザオリク習得させるのは一筋縄ではいかない。ザオリクを覚えるためには賢者のランクを6にする必要があり、そのためには、魔法使いのマスター(戦闘回数179回)+僧侶のマスター(戦闘回数159回)+賢者ランク6(戦闘回数140回)と、実に478回もの戦闘を要求されてしまう。

この差がゲームの戦術に与える影響は甚大だ。次に会うボスにある呪文が有効だと知った時、FF式ならば対応する職にジョブチェンジするだけで弱点を攻められるようになる。しかしDQ式では呪文の習得までに膨大な時間を掛けねばならず、しかもその間今まで就いていた職業の成長は
ストップさせる必要もある。強敵に遭う度にそんな悠長な真似ができるプレーヤーはそういるまい。となると、どんな状況にも最低限対応できるよう、パーティを常にバランス型の成長をさせることを余儀なくされてしまう。

またどの職がどのように有効なのかが、実際に成長させるまでわからないという問題もある。遊び人や踊り子といったいかにもお遊び要素で実戦には不向きと思える職を極めた先には、ハッスルダンスというゲームバランスを崩壊させるほど強力な特技が控えている。
自身の経験ではこんな事もある。山彦の帽子+メラゾーマの組み合わせは他の補助魔法に威力が左右されず、戦闘ターン数が問題になる裏ボスとの戦いでは重要な火力になるが、メラゾーマ目的で賢者を育てていたら、実は習得に必要なのは賢者ではなく魔法戦士のマスターであった。


自分の選んだ、選ばなかった選択がどのような影響を及ぼすのかがわからないし、選択肢の結果を確認するためには数時間十数時間という試行を行わねばならない。このようなストレスを与える仕様がDQ式の悪評を生んだと考えられる。1プレイが数十時間に及ぶRPGのようなゲームにおいては、やり直す事で最適解を導き出すタイプの時間が掛かるシステムはそぐわないのだ。ゲームシステムのアンチシナジーである。

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