このたびタルキールで探査が再録され、改めてこのキーワードが好きにならないと感じたのでこの違和感についてまとめてみたい。
探査付きカードはひとつ根源的な矛盾を孕んでいる。「マナコストを軽減する能力が付いているためにマナコストが上昇している」という点だ。《強大化》はクリーチャー1体を+6/+6するために6マナを要求し、《時を越えた探索》は《祖先の記憶》とほぼ同じテキストを持ちながらそのマナコストは3増えている。6マナで+6/+6、8マナで2ドローというコスト対効果の非効率さはいまさら説くまでも無かろうが、これがタルキール覇王譚の世界では許されてしまう。なぜなら実際にはこれらのコストは軽減され、印刷されたとおりのマナコストで呪文が唱えられる事はないからだ。
なんとも不思議な話ではないか。5マナ5/5のクリーチャーにトランプルがつき、調整されて6マナになるのはわかる。しかし、5マナ5/5に探査がつき、結果7マナに調整された挙句結局5マナでプレイされるという迂遠な方法が何故必要なのか。最初から5マナ5/5バニラを印刷しておくのが手っ取り早いのではないのか?
これと近い問題はM15に再録された召集についても言えるのだが、あちらの能力には探査ほどの自己矛盾が無い。召集呪文を効果的に運用するためにはまずクリーチャーを並べ、さらに攻撃またはブロックの権利を1回放棄することで初めてコスト軽減効果を発生させる。相応のデッキ構築を行い、戦闘かコスト軽減かのトレードを経て初めて機能する能力だった。召集にはゲーム上の興味深い意思決定をもたらす機能があったと言えるだろう。
しかし探査はその要素が非常に弱い。墓地というものは特別努力しなくても勝手に溜まるものだし、《サテュロスの道探し》や《境界の偵察》のように損をせず墓地を肥やす方法が用意されている環境では軽減効果と墓地追放のトレードオフが発生しているとは言い難い。
コストを下げるためにコストを上げ、使える時には使うのが大体正しいというのが探査のおおよその立ち位置である。このセットから探査を削除したとして、果たして生ずる不具合は如何なるものだろうか。
探査付きカードはひとつ根源的な矛盾を孕んでいる。「マナコストを軽減する能力が付いているためにマナコストが上昇している」という点だ。《強大化》はクリーチャー1体を+6/+6するために6マナを要求し、《時を越えた探索》は《祖先の記憶》とほぼ同じテキストを持ちながらそのマナコストは3増えている。6マナで+6/+6、8マナで2ドローというコスト対効果の非効率さはいまさら説くまでも無かろうが、これがタルキール覇王譚の世界では許されてしまう。なぜなら実際にはこれらのコストは軽減され、印刷されたとおりのマナコストで呪文が唱えられる事はないからだ。
なんとも不思議な話ではないか。5マナ5/5のクリーチャーにトランプルがつき、調整されて6マナになるのはわかる。しかし、5マナ5/5に探査がつき、結果7マナに調整された挙句結局5マナでプレイされるという迂遠な方法が何故必要なのか。最初から5マナ5/5バニラを印刷しておくのが手っ取り早いのではないのか?
これと近い問題はM15に再録された召集についても言えるのだが、あちらの能力には探査ほどの自己矛盾が無い。召集呪文を効果的に運用するためにはまずクリーチャーを並べ、さらに攻撃またはブロックの権利を1回放棄することで初めてコスト軽減効果を発生させる。相応のデッキ構築を行い、戦闘かコスト軽減かのトレードを経て初めて機能する能力だった。召集にはゲーム上の興味深い意思決定をもたらす機能があったと言えるだろう。
しかし探査はその要素が非常に弱い。墓地というものは特別努力しなくても勝手に溜まるものだし、《サテュロスの道探し》や《境界の偵察》のように損をせず墓地を肥やす方法が用意されている環境では軽減効果と墓地追放のトレードオフが発生しているとは言い難い。
コストを下げるためにコストを上げ、使える時には使うのが大体正しいというのが探査のおおよその立ち位置である。このセットから探査を削除したとして、果たして生ずる不具合は如何なるものだろうか。
コメント