日本人プロバスケ選手といえば? 競技の未来を切り開くスター10人

プロバスケットボール選手

日本のプロバスケ選手といえば、いったい誰のことを思い浮かべるだろうか? 残念ながら日本のスポーツ界において、バスケットボールはメジャーな地位を築いているとは言えずにいる。他のスポーツには国民すべてが知るような大スターがいるのに対して、バスケットボールのトッププロ選手の世間的な認知度は低い。

しかしそれは彼らがアスリートとして劣っていることを示しているわけでは決してない。優れたスキルを持つスターはバスケットボール界にも確かに存在している。そしてその他のスポーツがそうであるように、人々の興味をかきたて注目を集め、競技人口の裾野を広げてメジャースポーツへの扉を開くのは、こういったスター選手たちによるところが非常に大きい。

この記事ではバスケットボールを語る上で欠かせない、日本人プロバスケットボールプレーヤーを10人紹介する。「日本のバスケって面白いの?」そう聞かれた時にあなたが語るべきなのは、これらのスター選手たちの一言で表せるスゴさと、彼らをここまでの存在に押し上げてきたドラマについてだ。

10人のトッププロバスケットボール選手


田臥勇太(たぶせ ゆうた)

田臥勇太*画像はwikipediaへのリンク

その173cmの小さな身体のどこに、日本のバスケットボールの「夢」を背負う力が宿っているのか。

大道中学校で全国大会第3位。秋田県立能代工業高校に進学すると、菊地勇樹、若月徹とともに中心選手として、高校バスケットボール史上初の高校3冠(インターハイ、国体、ウィンターカップ)を達成。全国のエリートたちを相手に圧倒的な差を見せつけ、天才の名を不動のものにした。

1999年にはナイキ・フープ・サミットに招待され、世界選抜ジュニアとして全米選抜ジュニアと対戦。NCAA2部に進学、帰国しトップリーグでの準優勝と新人王を獲得した後、日本中の憧れと期待を一身に受けてアメリカ挑戦を表明。ABAのロングビーチ・ジャムにて優勝に貢献し、NBAフェニックス・サンズと契約。開幕戦を含む4試合に出場した後に解雇されるが、日本人初のNBA選手として名前を球史に刻んだ。

全米のバスケットチームを点々とした後、高校時代の恩師である加藤三彦が指揮を執るリンク栃木ブレックスへ入団。2009-10年レギュラーシーズンには優勝を果たし、プレーオフMVP、年間ベスト5を獲得する。

日本人選手としても小柄ながら、天性のテクニックと視野で観るものを魅了し、日本ではマイナーな扱いをされるバスケットボールという競技でも、田臥だけは高い認知度を誇っている。卓抜したセンス、俊敏な攻撃性と魔法のようなパス、そして実績。日本のバスケ界の象徴として、田臥勇太以上にふさわしい人物はどこにもいない。

生年月日:1980年10月5日
身長:173cm
体重:75kg
出身地:神奈川県横浜市金沢区
経歴:横浜市戸塚区の矢部小学校ミニ→横浜市立大道中学校→秋田県立能代工業高等学校→NCAA2部ブリガムヤング大学ハワイ校→JBLトヨタ自動車アルバルク→ABAロングビーチ・ジャム・アルビレックス→NBAフェニックス・サンズ→NBADLアルバカーキ・サンダーバーズ→ベーカーズフィールド・ジャム(前身・ロングビーチ・ジャム)→アナハイム・アーセナル→リンク栃木ブレックス

折茂武彦(おりも たけひこ)

折茂武彦*画像はTwitterへのリンク

長きに渡って日本が誇るNO1シューターとしてトップリーグに君臨するのが折茂武彦だ。トップ球団であるレバンガ北海道のオーナー兼プレーヤーという、他のどの競技でも見られない形での戦いを続ける折茂武彦のすごさは、40歳を超えてなお、平均得点数でリーグ2位の記録を叩きだすことで十分に知れるだろう。

リーグの歴史上、初の7000点を達成したこの選手は、絶妙なシュートタッチとスクリーンの使い方が武器だ。歳を重ねてもチームの主軸として得点を量産する姿は、この選手が身体能力に恵まれた才能任せの選手ではなく、日々の鍛錬を欠かさないプロ意識とバスケ選手としての知的さを持った優れたアスリートであることを証明している。

バスケットボールという競技生活の短いスポーツにおいて、折茂武彦のプレイスタイルは、すべての競技者が参考にすべき効率性と持続性を備えている。激しいゲームにあって現役最高齢記録を更新する、生きる伝説クラスの選手であることは疑いようがないだろう。

生年月日:1970年5月14日
身長:190cm
体重:77kg
出身地:埼玉県上尾市
経歴:上尾上平中学校→埼玉栄高校→日本大学→トヨタ自動車→レラカムイ北海道→レバンガ北海道

川村卓也(かわむら たくや)

川村卓也*画像はTwitterへのリンク

折茂武彦のNO1シューターの座を受け継ぐとしたら、この若きエースプレーヤーだろう。

日本では有望な高校生はほとんどが関東の大学に進学し、その世代での最高峰の戦いに身を投じる。狭くレベルの高いリーグ戦で純粋培養された選手たちの中から、限られたエリートがトップリーグへのチケットを手にして、日本を代表する選手になっていくのが通例であり、典型的なステップアップの方法だ。

川村卓也はこのレールを選ばなかった。岩手県立盛岡南高校時代から強気な性格と高いシュート力で知られた川村は、U-18日本代表の主将を務め、A代表の候補にも唯一の10代選手として選出された。後にオフェンスマシーンとの異名をとるこの若いスターは、盛岡南高を卒業すると、JBLオーエスジーフェニックスに入団する。

リーグ唯一の高卒のトップ選手ながら、大卒の選手たちを押しのけて新人王を獲得。2006-2007シーズンにはオールジャパン、スーパーリーグともに、史上最年少でのベスト5を獲得した。

田臥勇太とチームメイトになるリンク栃木ブレックスに移籍後は、2009-10にレギュラーシーズン得点王、プレーオフタイトルを獲得する。ファイナルのアイシンとの試合では、試合を延長に持ち込むブザービーターでの3Pシュートで会場を爆発させ、延長戦で王者アイシンの3連覇の夢を砕いた。この印象的な活躍が日本最高のSGとしての期待を川村卓也に集めている。

川村卓也はケガと闘いながらもNBA入りを目指している。その道は当然ながら険しいものだ。彼が進んでいく先にあるのは田臥勇太のようにアメリカの大地なのか、折茂武彦のように日本の頂きなのか。確かなのは、彼が行く道には、今後の日本の幾多の選手たちにとって重要な標が刻まれるということだ。

生年月日:1986年4月24日
身長:193cm
体重:86kg
出身地:岩手県盛岡市
経歴:片平小学校ミニバスケットボール部→仙台市立五橋中学校→盛岡南高校→オーエスジーフェニックス→リンク栃木ブレックス



竹内公輔・竹内譲次(たけうち こうすけ・じょうじ)

竹内公輔 竹内譲次*画像はTwitterとwikipediaへのリンク

身長2Mの双子の兄弟という話題性に目が眩んで、この2人のプレーヤーとしての価値を見誤ることがあってはならない。このビッグマンたちの特長は、長いあいだ日本の長身選手が備えることができなかったフォワードとしての優れた技術を持ち合わせていることにある。

2人が高校バスケットボール界の名門、洛南高校でプレイしていたときから、すでに日本のバスケットボールの将来は2人の肩にかかってくるとの評判だった。それはただ単に2人のビッグプレーヤーが生まれると言うことではない。彼らは長身に似つかわしくない技術と図抜けた身体能力を持っており、ツインタワーという名称から想像される鈍重さとはかけ離れたプレイを披露していた。

名門高校出身の2Mというだけでも、多くの大学から進学を望まれるものだ。強力なインサイドがいるだけでチームの成功は近づく。それが2人も同時に、しかも従来の長身選手とは違った規格外の上手さをもって現れた。関係者の期待は如何ばかりだったろうか。彼らがウィンターカップを制することで、その期待は否応もなく膨らんだ。

大学進学後、公輔は慶應義塾大学を、譲次は東海大学を、それぞれ1部昇格、インターカレッジ優勝に導く活躍を見せ、この世代の俗称である「竹内世代」が過ぎた表現ではないことも、自分たちが中心選手たるに相応しいことを堂々と証明してみせた。トップリーグでプレーすることになった現在でも、今後の2人の動向がそのまま日本のアジア・世界における地位に大きく影響するだろう。

あなたは身長2Mの日本人選手が、素早くテクニカルな動きでプレイするのを観たことがあるだろうか。現在は幸福なことに、各地の体育館でそれを堪能することができるのだ。

竹内公輔
生年月日:1985年1月29日
身長:206cm
体重:98kg
出身地:大阪府吹田市
経歴:吹田市立佐井寺中学校→洛南高校→慶應義塾大学→アイシンシーホース→トヨタ自動車アルバルク

竹内譲次
生年月日:1985年1月29日
身長:205cm
体重:93kg
出身地:大阪府吹田市
経歴:吹田市立佐井寺中学校→洛南高校→東海大学→日立サンロッカーズ

五十嵐圭(いがらし けい)

五十嵐圭*画像はwikipediaへのリンク

アナウンサーの熱愛、ドラマやバラエティ番組への出演、写真集やDVDの発売。バスケットボール選手としての知名度という点で、田臥勇太の次に挙げられる五十嵐圭は、甘いルックスからは想像できない超高速ドリブルでコートを縦に切り裂くポイントガードだ。

元日本代表ヘッドコーチのジェリコ・パブリセヴィッチをして「世界レベルのスピード」と言わしめたプレイには華があり、多くの観客を魅了する。彼はただのアイドルではなく、高校大学とエリートコースを辿り、日本代表選手として世界選手権に出場した一流のポイントガードなのだ。

そのスピードは天性であり、コート上で誰も五十嵐圭の真似をすることはできない。ディフェンスにとって相手ドリブラーのボールが高速で自陣のリングに向かうことほど恐ろしく、厄介なものはない。そして味方にとってそれは実に頼もしい武器になる。もしもファンになれそうな選手を探している人がいるのなら、試合会場で輝く背番号7がオススメだ。

生年月日:1980年5月7日
身長:180cm
体重:68kg
出身地:新潟県上越市
経歴:上越市立春日新田小学校→上越市立直江津東中学校→北陸高等学校→中央大学→日立サンロッカーズ→トヨタ自動車アルバルク→三菱電機ダイアモンドドルフィンズ

桜井良太(さくらい りょうた)

桜井良太*画像はTwitterへのリンク

高校バスケットボール界の絶対王者、能代工業をウィンターカップの1回戦で敗退させたのは、当時高校3年生の桜井良太だった。四日市工業のエースとして、ダンク3本、3Pシュート6本を含む51得点。マンガの登場人物のような大暴れを演じてみせた桜井は全国区の選手になった。

多くの有望選手が関東地区の大学に進む中、東海地区の愛知学泉大学に進学。新人王や最優秀選手賞を受賞しつつ、大学3年生にして日本代表候補に選出される。トップリーグに活躍の舞台を移してからは、日本が長年待ち続けた長身ポイントガードにスタイルを転向。194cmの身長と図抜けた身体能力を武器に、世界基準の選手として代表を引っ張る存在だ。

ドライブから軽々とダンクをかますこの選手に、すべての観客が夢を見ている。得点力と上背を兼ね備えたポイントガードこそ、日本代表の未来を切り開いていくという思いを多くの関係者が抱いてきた。その期待はいま桜井良太の大きな肩にのしかかっている。

生年月日:1983年3月13日
身長:194cm
体重:75kg
出身地:三重県桑名市
経歴:長島中学校→四日市工業高校→愛知学泉大学→トヨタ自動車アルバルク→レラカムイ北海道→レバンガ北海道



柏木真介(かしわぎ しんすけ)

柏木真介*画像はTwitterへのリンク

いったい誰が日本最高のポイントガードなのか。田臥勇太? 桜井良太? 五十嵐圭? 安定感、ゲームメイク、リーダーシップという点において、柏木真介こそがその名にふさわしいという声を、誰も無視することはできない。

東海大四高校でインターハイ準優勝、中央大学でインターカレッジ準優勝、トップリーグでの新人王受賞と日本代表選出。順風満帆に見えるバスケ人生だが、このエリートのプレイを見さえすれば、それが確かな反復練習と自己抑制による努力の賜物だとわかる。

ディフェンス、ドリブル、パス、フロアでのプレイメイクに加え、勝負どころでの高いシュートと強靭な足腰。オールジャパン4連覇の偉業の原動力となった柏木真介を、同じ中央大学―アイシンという経歴の佐古賢一の後継者と見る向きは多い。現在の日本バスケ界を語る上で、この選手の存在感の大きさを抜きにすることは不可能だ。

生年月日:1981年12月22日
身長:183cm
体重:80kg
出身地:北海道帯広市
経歴:帯広市立栄小学校→帯広市立帯広第一中学校→東海大四高校→中央大学→日立サンロッカーズ→アイシンシーホース



石崎巧(いしざき たくみ)

石崎巧*画像はwikipediaへのリンク

「竹内世代」の一人であるこの選手は、田臥がアメリカで道を拓こうとしたように、ヨーロッパへと活躍の場を求めている。高校時代は「触らなければチェックしていないのと同じ」と言われたほどの正確なシュート力を武器に、北陸高校でインターハイ優勝を経験。ウィンターカップでは竹内兄弟相手に苦杯を飲むも準優勝。

東海大学では黄金世代の一翼を担いインターカレッジ2連覇を達成。JBLの扉をくぐってからはオールスターと日本代表に選出された。しかし彼はここからさらに飛躍を求め、レベルの高いヨーロッパへの挑戦を明らかにした。

日本にいればほぼ間違いないであろうトップ選手の地位を捨てて、石崎巧は未知の世界へ飛び込んだ。島根スサノオマジックに所属した際にはbjリーグから初の日本代表選手として選ばれ、その後はドイツリーグ2部のBVケムニッツ99ersとの契約を勝ち取った。

サッカーのようにヨーロッパに選手が飛び出していくような状況を、石崎巧はロールモデルとして作り上げることができるのだろうか。悪魔のようなクロスオーバーを駆使するポイントガードのまったく新しいチャレンジに、日本中の注目が集まっている。

生年月日:1984年7月6日
身長:188cm
体重:85kg
出身地:福井県福井市
経歴:北陸高校→東海大学→東芝ブレイブサンダース→島根スサノオマジック→BVケムニッツ99ers

比江島慎(ひえじま まこと)



「次」という言葉は可能性に満ちている。どんな敗北も勝利も、「次」が放つ輝きの前には消えてしまう。日本のプロバスケットボールにとっての「次」とは比江島慎のことであり、彼が持つあらゆる可能性が、今まで多くの日本代表が味わってきた「悔しさ」を晴らすかもしれない。比江島慎は皆に未来を約束する資格を持つ数少ないプレーヤーの一人だ。

百道中学校、洛南高校、青山学院大学。ウィンターカップ優勝、インカレ2連覇。バスケットボールを知っている人なら目も眩むような経歴をひっさげてトップリーグに挑もうとする若者を形容するには、怪物というインパクトのある言葉でも足りないかもしれない。

比江島タイムという言葉を生み出すほどの得点量産能力。190cmの長身からは想像できないほどの俊敏で軽やかな動作。間近で観た人でも、ズタズタに切り裂かれるディフェンスの精神的な衝撃まではわからないだろう。その破壊的なオフェンス力はオールジャパンにおいて、学生にしてJBLのチームを破る原動力となった。

比江島慎の未来と日本代表の未来が「=(イコール)」で結ばれることはほぼ決まっている。一度見て見れば、それだけの価値がこの選手にはあると誰もが認めることだろう。あなたが誰かに注目の若手を聞かれた時に、この選手の名前を挙げると「ミーハー」だと言われてしまう程に。

生年月日:1990年8月11日
身長:190cm
体重:78kg
出身地:福岡県
経歴:福岡市立百道中学校→洛南高校→青山学院大学→アイシンシーホース

素晴らしいプロバスケ選手はたくさんいる
ここで紹介した選手たち以外にも、日本のバスケットボール界には素晴らしいプレーヤーが大勢いる。しかしここで紹介した選手たちに共通するのは、誰もが1試合観ただけで素晴らしさとインパクトを受け取ることのできる、突出したスター性にある。

今後日本のバスケットボール界は、ますますプロバスケットボール選手が増えていくだろうし、そうなっていくことが期待されている。この素晴らしい競技の発展と、バスケットボールに夢を持てる人が増えること。そういった未来を創る戦いの先陣に立つこれらのプレーヤーを心から応援していきたい。
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