ありがたいことにネタのタレコミをいただきましたので、今回はそれについてを。

「霊剣山」関係でイロイロとご意見や質問をいただいておりますが、その中に
「中国における仙侠関係、更には仙人を目指すことに関する中二病感が日本ではピンと来ないのでは?」
といったご意見がありました。

確かに仙侠や、道教関係の概念、いわゆる「修仙」や「修真」といった辺りのイメージは日本だとあまり一般的ではない気もしますね。
そんな訳で以下に中国のソッチ系のサイトで行われていた
「仙人関係のテーマを日本では理解できないのか?」
といったことに関するやり取りを、例によって私のイイカゲンな訳で紹介させていただきます。


仙人が題材の作品って日本人には理解できないんじゃないの?

同意。日本人は修仙で何やるかも知らんだろ。

さすがに仙人という概念自体は普通に知っているだろうが、確かに修仙とかまでのネタになると厳しそうだな。
考えてみれば日本のアニメや漫画でそこに焦点を合わせた作品は無い。自分の知らない所にはあるのかもしれないが、有名な作品には無さそう。

まぁ俺達も忍者の成り方とか詳しくは想像できんしな……
「NARUTO」のアレは創作向けにアレンジされたものだし。

中国の文化は重すぎて日本には理解できない部分もある。
それに最近の仙侠系のコンテンツってネット小説系の膨大な量のものが主流だし、その手の作品で伝わった場合は理解され難いだろう。

中国文化よりも、道教の概念があまり広まっていないことの方が重要なんじゃないか?
修仙、修真の概念について日本では認識されていない節がある。

知らないものだからこそ新鮮に感じられる、予想外の面白さを感じられるという可能性もあると思うんだが。

普通はそうだよな。
「霊剣山」のアニメに関してもつまらないとかで叩くのではなく、理解できないというので叩くとか、日本人の頭はおかしい。理解するのを放棄するとか幼稚すぎる。

それにしたって限界があるだろ
俺達も何が面白いのか分からん日本のアニメや漫画にぶつかって困惑したりするわけで。

仙人パワーのバトルなら良かったのだろうか?封神演義とかは日本で問題無くウケているよな。

「霊剣山」は話の構成も……修仙の段階になってようやく面白くなるような感じだから……

分からない部分というか、こっちで常識の部分が日本では常識では無いってことだろう

そしてそれを説明しようとすると物語が犠牲になると。

武侠がダメとは聞いていたが、仙人もダメなのか……

武侠はいけるんじゃないの?
中国以上に見ている人間が多いなんて話もある三国志ほどじゃないだろうけど、金庸作品とかアニメになるくらい人気だという話だ。

アニメは「神雕侠侶」のことか?あれ第三期まであるのに日本では第一期で放映終了になった時点で……
金庸作品などの武侠作品に関しては、日本で一部のマニアやクリエイターが大絶賛したりはするけど大衆受けはしないみたいだよ。

こっちの人間が「NARUTO」の意味不明な用語を理解して楽しめているのに、なんで日本人は「霊剣山」程度を理解しようとしないんだろう。そういう態度はアニメを視聴するオタクとしてどうなんだと言わざるを得ない。

「霊剣山」は伝統的な修仙系の作品ではないし、内容は基本的にツッコミによるギャグ、更に作者もオタクだから作中にオタクネタを散りばめているから大丈夫だと思ってたんだがなあ。

内容は非常に現代的だし、ギャグも銀魂的なのにね。そこは自分もモヤモヤしたものを感じる。

日本人は修仙の概念が分からないとなると、もしや修仙に関する中二病的な感覚も分からないのか……?

日本人は霊剣山のツッコミ、面白くないとか言ってる。まあ翻訳も微妙らしいが。

霊剣山は日本では修仙の知識やイメージが広まっていないことに加えて、アニメの際に作中のツッコミネタが誇張されてしまったのも不味かったと思う。あれはウチの国でさえ好みがハッキリと別れたんだぞ。

そもそも、霊剣山にあるような中国式のツッコミは下ネタやおちょくりが多くて日本のツッコミとはかなり違うものになっている。
日本人の反応を見ても下品すぎるとか笑うポイントはどこだとか、困惑の声が出ている。

仙侠風の作品の笑いって、仙侠系の作品や文化に長年つかっている中国の青少年なら一発で分かるものなんだが……日本だとダメなの?

ある程度解説すればいけるとは思うが、それを作中で自然にやるのは難しいと思う。
登場キャラに大量に説明セリフを喋らせると作品自体がつまらなくなるし……日本の視聴者は分からなくて視聴放棄した人間が少なくないようだ。

日本人もバカではないだろうに、なんで理解できないんだ……別に古詩とかでもない現代語と現代的な感覚がベースの作品なのに……

いや、「霊剣山」のアニメってウチの国の人間でも理解できるかハッキリしないネタ入ってるだろ。
ちなみに、日本の学校の教科書で我が国の古詩を教えているから、日本人は中国語に関して古文の方が理解できるなんて話もあるんだわ……

「霊剣山」は普通につまんなかっただけじゃないか?
日本人には1月新作アニメの中でで見たいと思われなかっただけで。

日本向けでも当たる素材はあるだろうけど、仙人関係は選択肢として難しかったんじゃないだろうか?
日本では仙人という存在は広く知られているし、その点に関しては問題無いんだろうけど、仙人を目指す感覚や、仙人の行動原理までは認識されていない気がする。

日本だと修道小説の基本である修真境界の区別もついていないんじゃないか?

この前提が通じないというか、目指すものが何なのかが理解できないと厳しいだろうな。登場人物のモチベーションの理由が分からないのだから。

日本人でも内容に興味持って追いかけているオタクは出ている。
だが作中用語や世界観の理解で苦戦している印象だ。あと設定に興味を持っている人の間でも作中のネタ、ギャグに関しては面白いと思われていないようだ……

日本人が分からない、理解できないで止まることが理解できない!
俺達も別に忍者を詳しく知っているわけではないのに「NARUTO」は理解して楽しめるのに!

修仙、仙侠系の作品ってそこまで日本人と相性悪いのか!?

そこは作品次第だろう。
「NARUTO」なんかは作品を読みながら忍者が「その作品の中で」どんな存在なのかを理解できるようになっている。それに対して霊剣山は読者が仙侠関係のお約束とオタクのお約束を理解しているのが前提になっている。どっちが上では無く、作品のターゲットの違いだ。

なるほど。
修仙関係でもうちょっと広い、読みながら世界観を把握できるタイプの作品があれば話は違うのかもな。

そういう面から見ていくと、ネット小説がそもそもウチの国以外の文化圏に対して相性が悪いのかもしれない。ウチの国のネット小説は前提知識、お約束の認識をベースにして量産されるし、大量の文書で設定を垂れ流す作品も強いから。



とまぁ、こんな感じで。
日本における「霊剣山」関係の反応が中国オタク界隈にも伝わり、そこからイロイロと考えてしまう人もいるようです。

ちなみに上のやりとりにも出て来る「成仙」を目指す「修仙」、それから修仙と同じカテゴリとされることもある「修真」という言葉ですが、この辺についてはざっくりと説明をするのは難しいですね。
以前中国オタクの方に教えていただいた話によれば

要約すると、修真(修仙)というのは
「道教の理に基づく一定の条件が揃えば揃えば、どのような者(無生物でも可)であっても神になれる」
というものであり、中国のネット小説などにおいて主人公はそのために秘伝の修業(主に精神的な修行、例えば座禅など)を続けることになる。そして全ての修行をクリアした時点で、その主人公は主観的な意識とは関係なく自動的神になる……


といったものだそうです。また

「このような形で神に匹敵する能力を得る、頂点を極めるのは、自分に対して神ですら干渉できないようにするためで、神になって何かをするといったものではないことが多い」

とのことでした。
こういった思想、方法論によって強くなる、いわゆる俺TUEEEEをするというのが中国のネット小説をはじめとする現在の若者向けコンテンツにもあるそうで、その辺りの感覚というか、中二病的な空気が日本の感覚ではピンと来ないといった所はあるのかもしれませんね。
実際、私自身もきちんと理解できている自信はないですし……


とりあえず、こんな所で。
例によってツッコミ&情報提供お待ちしております。


4/8修正:誤字脱字を修正しました。ご指摘ありがとうございます。