ハリーポッター作者のJ・K・ローリングさんが別ペンネームでさ。J・K・ローリングだと言うことを隠して別の小説を発表したらしいんだけどね。
いざ、ロバート・ガルブレイスのペンネームはJ・K・ローリングさんが書いているんだよと知れ渡った瞬間にさ。これでもかと言うぐらい読まれ始めたみたいなんだよ。
もうね、作品が良ければ読まれる時代ではなくてさ(読まれる場合もある)。ネームバリューも威力を発揮する時代になったんだと感じたんだ。
誰々がやっているからやってみよう。誰々がそうしていて効果があったから自分もそうしてみよう。などなど、人はどこかでそういう決まりを無意識で作っているのかもしれない。
たしかに自分もテレビで手作り生キャラメルが話題になった時、どんなものなのか一度でいいから無性に食べたくなったしさ。
全米の3人に1人が震撼した圧倒的物語みたいなキャッチフレーズの映画作品があったら、どんな内容なのか気になるよ。
何か購入するにしてもね。無名のメーカーの電子機器を購入するよりも知っているメーカーの方が安心できたりもする。
中国人が中国メーカーの電子機器よりも日本メーカーの方が安心だと、わざわざ日本まできて大量に商品を購入するのに似ているのもしれない。
そう考えると、自分はブログをやっている以上は、日々、誰かしらの目に記事がさらされていてさ。はてなブログの読者登録が解除されて減る時もある。
読み手がもう読まない、読むを選択するのは自由なんだよ。もちろん読者数が増える時もある。紙媒体、電子媒体も含め、インターネット上にはたくさんの文字があふれている。
あふれているからこそ、読み手はどれを読もうか読むまいか。自由に選択できる時代になった。時間は全員平等に分けられているからね。
自分にしても相手にしてもさ。どれに時間を使うかは自由だし、誰にも決めることはできないんだよ。
それでも思うのは無名で特に誰かの役に立つためにやっていないブログでもね。貴重な時間を使って読みにきてくれること。ありがたいことだよねって感謝している。
自分のような一般人がインターネット上で文章を発表する。それを読みにきてくれること。日本中のどこかで個人が何かを発表している。
それを誰かが見ている。自分が外国語に弱いのでできないけれど、世界中の人たちが、きっとインターネット上で何かを発表している。
いつか世界の人たちとも何かしらの方法で繋がりたいななんて思いました。