最近、自分は雑談が壊滅的に出来ないという事実を噛み締めなければならない場面が非常に多くて悩んでいる。真面目な会話や事務的な会話はちゃんと出来ている(と思う)のに、雑談に入ると途端に口を閉ざしてしまう。
こういう事態に陥ってしまうのは、思うに、雑談の目的がどこにあるのか分からないからだと思っている。例えば、会議ならその時のテーマに沿って発言すればいいし、分からないところを聞くという行為は疑問点の解消を目指して行われる。といった感じで、受け取った情報が最終的にどこへ向かえばいいかが明瞭な会話は出来るのだ。しかし雑談は渡されたボールを、どこへ投げ返せばよいのかがまるで分からない。そこに苦手の原因があると思ったのだ。
実をいうと私は少しアスペが入っているので、まずは発達障害者の視点から対策を立てられないかと調べてみたら、下記のtogetterに行き着いた。
「同年代と関わるのが苦手」→「コミュニケーションの前提にするものの違い」かも…。 - Togetterまとめ
発達障害者と定型発達者では、コミュニケーションの前提とするものに違いがあるという内容だ。その違いとなる前提が簡潔にまとめられたツイートがこちら。
なるほどー、「知識とその意味の正確な伝達」よりも「その場にいる人同士がつながっている状態を保持する」ことが優先されるわけか @tamatama1127
— 灯 (@tomo0ru) 2015年12月18日
まさに目から鱗である。私はどうやら無意識のうちに会話には方向性があり、そこに向かっていくために行っているのだと思い込んでいたようだ。分かりやすく例えるならば、サッカーのパスのように「会話の目的」というゴールの元へ会話を運んでいくことこそがコミュニケーションだと考えていたのだ。そのためには全ての発言に意味が含まれていなければならなかった。
対して雑談にはゴールというものがそもそも存在しないらしい。雑談のような意味のない会話は、例えるなら、(私が解釈した限りでは)バレーにおけるラリーのようなものなのだ。
如何にボールを床に落とさずにいられるか?どうすれば相手のサーブを拾えるのか?どうすれば相手にとって拾いやすいトスが上げられるか?このような点に気をつけられて雑談は行われていたのだ。
会話の中身は重要ではなく、だからこそ雑談に意味や目的を求めることは不毛であり、ただひたすらに続くことこそが重要なのである。定型発達者はどうやらこれを無意識に理解しているらしいので、本当に恐れ入る。
会話から情報を得ようとすることを諦めよう。そして綺麗なトスを上げることを目指して雑談を行おう。そうすれば今よりは少しマシなコミュニケーションが出来るようになるはずだ。今日は素晴らしい発見をした。