青函連絡船の船たち

青函連絡船廃止時に活躍していた青函連絡船の船たちを、写真と共に紹介します。


函館桟橋着岸

JRRX
八甲田丸
HAKKODAMARU

現在は青森桟橋跡地で保存

5,382.65トン
1964年7月31日
三菱造船所神戸造船所にて竣工

青函連絡船最終便(下り7便)


青森出港

JPBI
大雪丸
TAISETSUMARU

長崎市内で海上ホテルとして使用ののち解体

5,375.99トン
1965年4月20日
三菱日本重工業横浜造船所にて竣工


青森桟橋着岸

JHMI
摩周丸
MASHUMARU

現在は函館桟橋跡地で保存

5,363.33トン
1965年6月15日
三菱造船所神戸造船所にて竣工


青森出港

JQBM
羊蹄丸
YOTEIMARU

東京都「船の科学館」で展示ののち解体

5,375.93トン
1965年7月20日
日立造船桜島工場にて竣工

青函連絡船最終便(上り22便)
復活運行最終便(下り3便)


海峡中央を行く

JMUK
十和田丸
TOWADAMARU

フィリピンのリゾート地で
カジノ船として使用ののち解体

5,397.59トン
1966年10月16日
浦賀重工業にて竣工

青函連絡船の貨客船として最後に建造された船
復活運行最終便(上り4便)


補助汽船の力を借りて回頭中

JPHE
石狩丸
ISHIKARIMARU

国外で旅客フェリーとして使用のち解体

4,105.62トン(新造時)
1977年4月26日
日立造船向島工場にて竣工
(1982年3月・貨客船に改造)

青函連絡船として最後に建造された船
「石狩丸」の名は国鉄青函連絡船史上
唯一三代に渡って使用された名前である


函館構内を行く
(この写真は頂き物です)

JJRE
檜山丸
HIYAMAMARU

インドネシアでフェリーとして使用
その後事故により解体

4,107.96トン(新造時)
1977年4月26日
三菱重工業下関造船所にて竣工
(1982年9月・貨客船に改造)

青函連絡船旅客船デビューはこちらが最後


最後は「空知丸専用」だった青森第三岸壁

JQAD
空知丸
SORACHIMARU

現在はギリシアでトルコ国内で係留中?

4,123.60トン
1976年3月31日
函館ドック函館造船所にて竣工

青函連絡船史上最後の貨物専用船

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