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こういうことをいうのは僕ぐらいなのだろうけど。
学会員さんでも『一念』は二通りでやってると感じます。
御本尊様へ向かってる時の『一念』です。
僕には「これが全て」とさえ感じられるんです。
掲示板からもハッキリわかるぐらい現実が見えない理由や掲示板でこの通り起きてることも。
これから話すことは、河合さんの講義を思い切り簡略してるような内容だけど。
河合さんは過去に「創価学会念仏風」という講義もされたようで、僕はネットで内容を軽く知ったのだけど。
その両方の究極部分と感じたところです。
御本尊様へ向かってる時の一念。心の動作。
仏を『信』じながらなのか『念』じながらなのか。
という違いだけなんです。
どっちなのかで全く別宗教状態。
功徳と罰の分かれ目。
それこそ天国と地獄ほどの違い。
またこの心の動作は御本尊様へ向かってる時だけではなく、人を相手にした時も同じ心の動作なんですね、不思議と。
『念』じながらというのは、自分の欲望の塊そのものを『仏』として作り上げたものを信仰対象にしてる状態なんですよね。
ぶっちゃけ念仏・浄土信仰状態。
河合さん曰く「創価学会念仏風」 f--;
見えてるものより欲望優先。
これで人と面すると、相手に念仏・浄土信仰を求めてるようなもんf--;
それも自分だけ都合のいい枠にハメた念仏・浄土信仰状態f--;
中途半端に念仏・浄土をしてるような状態だから悪い部分ばかりの現象f--;
掲示板の流行り言葉じゃないけど混ぜるな危険。
結果的に周囲には『利己』にしか映らなくて迷惑になるから苦行の無限地獄になりがちというかf--;
ましてこの掲示板は信仰が実体験からちゃんとわかってる人ばかりだから通じるはずもないんです。
見えてるものをそのまま『素直』に純粋に観ましょう!(^^)/
そのための第一歩の修行が『念』じる心の動作から『信』じる心の動作へ切り替えることなんです。
そのためには『御本尊様』を感謝の気持ちで素直に純粋に観ながら自行が効果的。
『信』じるというのは『感謝の一念(の効果)』を信じる、というのと同じ。
これでちゃんと功徳の効果が現象化するから、その事実からわかることは、書写された人は『感謝の思い』でもって書写されたのがわかる。
書写された人と同じ思いで『祈る』のだから、書写された人と同じ祈り方を真似てるも同然。
大聖人様の御本尊様ならば、大聖人様の祈り方を真似てるのと一緒。
大聖人様の真意をちゃんとわかってる弟子の書写したものでも一緒。
大聖人様の代わりに祈ってるようなもの。
効果的に感応しながらの『祈り』なのにむしろ功徳にならないのがおかしい。
と、このコメントは山脈さんへの『手助け』でもありますので。
学会員さんより『納得』を得たいなら、このコメントの意味するところがわかれば容易なはずです。
わからなくとも、実際にやれば即日で効果を実感しますよ。
池田先生の有名な大阪での戦い。
池田先生のこの心の働きを感応・共鳴して、それで周囲の人も同じ心の働きになったことで起きたことです。
これ自体は組織に居てもいなくともできることだからやってみては?
これで山脈さんのホンネを拝見させて頂きますね。
http://www.geocities.jp/bosatu2015/
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