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「体感・体験」2
「体感・体験」で一番わかりやすい実例は「味わう事」である。日本の文化には
「味わう」ことが育まれてきている。茶道・華道・香堂等は「味わう」また日本
庭園等は花鳥風月を表現したものだった。このような「味わう文化」は仏教の影
響を受けている。「自然を味わう」「自然により生かされている」という文化が
根付いていると言える。「悟り」という現象も「味わい」の世界である。
二十四節気などは日常生活の中での「味わい文化」としてあった。残念ながら日
常から「味わい」が失われてきている。「自然の中で生かされている」から「自
分自身で生きている」という自然との分離現象が見られている。
詩人の加島 祥造は信州の大自然の中で自然を味わいながら老衰で昨年12月に
亡くなった享年92歳であった。
タオを実践した人であった。「味わう」ことの実践をした人であった。姜尚中氏
が「悩む中」訪問した善き先輩であった。(ETV特集で放映2013.10/19)
「なるように、なっている。味わえば変わる」との言葉で息子の死を受け入れる
ことができた。
職人は仕事を通し「味わい」を学びながら自然との対話をしている。武道家は日
々の稽古で対話している。あるマラソンの監督は、マラソンは自己対話であると
言っている。走る事により「自然に自己対話が起きてくる」からだ。そうすると
「味わい」が生まれ、「今、ここ」がわかるようになってくる。と、自分自身を
味わいながら、生かされている事に喜びを感じながらの日々は高みへと誘ってく
れる。都市部で生活している人々には、そうした「味わい」に欠けているのが目
につく。それも本人の選択である。この選択の異なりは、いつしか人生の差とな
って現れてくる。老人保健施設の入所者を見るとわかることである。
「味わい」は「体感・体験」の世界である。「歩く」・「走る」事は「自己機能
」である。
私はよく「迷ったら、歩け」「悩んだら、走れ」と言っている。動く事により意
識が変化するからである。このようなことは武道の稽古や職人が生活の中で気づ
いた智慧である。「やれば」智慧が出てくる。身体機能・身体感覚は意識の新陳
代謝となるのだ。行者や修験道等の過程に必ず「歩く」「走る」が組み込まれて
いる。
「体感・体験」する事実、その効用を現代人は無視または排除している。ここに
近代文明のパラドックスがある。「自己機能」の衰退である。心身の不適応者の
多くに見られる共通した姿である。
「自己機能」の活性化は「味わい」を深め「自然治癒力」の活性化をもたらす。
また「自己機能」が健全に機能している高齢の方々は健康長寿である。歳を重ね
るにしたがい醜態となってくる人、にこやかな笑みをたたえる
魅力的な方、その差は「自己機能」の働き作用である。「生命」(いのち)は嘘
をつかない。歳をとるとその人の「生命」が表に出て来るのだ。この現実が「人
は誰でも、生きてきたようにしか死ねない」ということになるのだ。だから「リ
ライフ」やり直し・生き直しが必要なのだ。ただし「気づかない」かぎり「リラ
イフ」はできない。日々「体感・体験」することが、この世の人生をかけがいの
ないものに創造してくれるのだ。
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